黒く滲む⑤

七月十五日 (日曜日) 14時頃 修也宅


 試験前に瞳ねぇと一緒にDVDを見てから、その後は徐々に瞳ねぇとのメールの回数が増えていった。試験勉強の合間も、勉強の進み具合や試験の手応えなど、お互いのことをメールで報告していた。

 以前まではただのバイト仲間だったが、今はメールのおかげで前よりもずっと近い距離に瞳ねぇを感じることができた。

 僕が瞳ねぇの事を好きなのは、おそらく伝わっていると思う。この前、咄嗟に手を握ってしまったのだから。だが、僕の気持ちに気付いているはずなのに、メールの中の瞳ねぇは僕を避けるよりも、以前よりも親しい雰囲気だった。

 もしかしたら、瞳ねぇも僕の事を思ってくれているのかもしれない。

 そんな淡い期待をしながらも、毎日三沢君からもらった瞳ねぇの盗撮動画でオナニーをした。

 三沢君は試験期間中にも関わらず、毎日盗撮を続けているらしい。信じられないことだが、三沢君の超絶優秀な頭脳であれば、それも頷ける。

 そして三沢君は瞳ねぇに彼氏ができたと思っているようだ。どうやら家で勉強の合間に頻繁にメールをしているかららしい。そのメールの相手が僕だと知ったら、驚くだろうなと思いながらも、三沢君にはまだ黙っていた。

「僕たちは傍観者でなければならない」

 という三沢君の強い信念を、僕は尊重していた。それに、今更この人は僕の好きな人です何て伝えるのは恥ずかしかったから。

 いつか僕が瞳ねぇと付き合い、傍観者でなく当事者となった時には、三沢君に言う日が来るかもしれない。だが、今はまだ瞳ねぇの彼氏になったわけじゃない。だから黙っていようと決めていた。


「お邪魔します」

 日々の試験勉強を感じさせない柔らかい声で、約束した通り僕の部屋に瞳ねぇが来た。試験勉強の息抜きとして、今日の午後は少しの時間だけ一緒にDVDを観る約束をしていたのだ。

 毎日メールをしているが、実際に会うのは一週間ぶりだ。普段はバイトがあるので、一週間も合わないことはほとんどない。だから、久しぶりの再会に僕は少し緊張していた。

 さらに、瞳ねぇの着ている服が僕をさらに緊張させる。

 いつも結んでいる艶のある黒髪は解かれ、肩のあたりで少しウェーブがかかっている。黒髪との対比で、いつもと同じ透明感のある肌はさらに白く輝いていた。だが驚いたのは、いつも着ることのない、薄緑色のノースリーブのサマーニットと、タイトなジーンズという服装だ。普段の瞳ねぇは、その美しいスタイルと隠すような服を着ることが多い。だが今日は、体のラインが強調された服装で、僕は目のやり場に困ってします。

「ん?シューヤ君、どうしたの?」

 僕は必死で視線を逸らし、「なんでもないです」と誤魔化した。そして、テレビにDVDをセットした。

(今日の服装とても似合ってますね)

 何て言葉をサラリと言えたらいいんだけど。そんなことを思いながらも、二人で座って雑談を始める。

 一度来たことがあるため慣れてきたせいか、瞳ねぇの表情は前よりもずっと明るく自然だ。いつものバイトでは見られない、笑ったり驚いたりする様々な表情の瞳ねぇを見ると、瞳ねぇの魅力は、容姿やスタイル、性格だけでないことがよく分かる。

 誰よりも愛嬌や感情の豊かさがあるのだ。

 普段メールの文面では分からない瞳ねぇの屈託さに、僕はさらに瞳ねぇを好きになっていくのを自覚した。

 その後、二人で先週見たDVDの続きを見た。

 DVDの内容に突っ込んだり語ったりしながらも、僕は隣にいる瞳ねぇの胸の膨らみや、スラリとした足を何度も盗み見ていた。そのサマーニットの下の裸を、モニター越しに見たことがあるため、想像することが簡単だった。

 そして、先週よりも明らかに僕と瞳ねぇの距離は近かった。少し手を横にずらせば瞳ねぇに触れることができる距離。

 やがてDVDが終わりクレジットが流れると、二人で感想などを言い合った。そして会話が止まると、僕の部屋は静寂に包まれた。

 自然と僕と瞳ねぇは見つめ合った。

 その瞬間、僕は躊躇うことなくゆっくりと顔を瞳ねぇに近づける。

 瞳ねぇはもう笑っていなかった。真剣な顔でゆっくりと目を閉じた。これはいける、いくしかない。

 僕は自分の唇を、瞳ねぇの唇に重ねた。瞳ねぇの唇のその柔らかさ、しっとりした質感を僕の唇に感じる。このまま時が止まってしまえばいい、と思った。しばらく息もせずにじっと唇を触れ合って、そして離れた。

 離れた瞬間、目を開けた瞳ねぇと目が合った。

 瞳ねぇの頬は赤く、瞳はトロンと蕩けるように輝いていた。

 そして、口角が上がり目尻が下がる。瞳ねぇは笑顔になった。

 僕は思わず、「ごめんなさい」と言った。勢いでキスしてしまったことを詫びたつもりだったが、瞳ねぇは軽く首を振って、今度はゆっくりと抱きついてきた。

 咄嗟に僕もしっかりと両腕で瞳ねぇを受け止めた。。

 腕の中に瞳ねぇの体温を感じる。それは、僕がここ数ヶ月ずっと求めていた温もりだった。生まれたばかりの雛のように、僕は優しく抱きしめる。

 瞳ねぇの柔らかな胸の感触を感じながらも、僕の心臓の鼓動が瞳ねぇに聞こえているのではないかと心配になる。

 勇気を出して、僕は右手で瞳ねぇの頭を撫でた。瞳ねぇは今度は頭をコテンと僕の首筋につけてきた。まるで僕に甘えているようだ。僕は、また何回か瞳ねぇの頭を撫でた。

 やがてDVDが止まりテレビの画面がタイトルに戻った頃、僕と瞳ねぇはゆっくりと離れた。

 瞳ねぇの顔は赤く染まっているが、おそらく僕も同じだろう。

 なぜだが、目を合わせにくくて、お互いどうしていいのか分からない。その状態が面白くなって思わず笑ってしまったら、瞳ねぇも釣られて笑ってくれた。おそらく同じことを考えていたんだろう。

 時計を見ると、時間は16時を過ぎていた。

「残念、また帰って勉強しないと」

 時計を確認した瞳ねぇは、とても残念そうに言った。

「でも、シューヤ君に会えたから、来週も頑張れそう」

 と笑顔で僕を見てくる。

 僕も「こちらこそ、瞳ねぇに会えて嬉しかった」と返事をする。そして、またお互い笑い合った。玄関まで瞳ねぇを送ると、

「テストが終わったら、居酒屋のみんなで打ち上げがあるみたい。打ち上げの帰り、一緒に帰らない?」

 と瞳ねぇが僕に言ってくれた。

「もちろんです」僕は笑顔で答えた。

「ありがと、シューヤ君。それじゃあ、試験頑張ってね」

「うん、瞳ねぇも頑張ってください」

 と言ってドアを開け、帰っていった。

 パタン。

 ドアが閉まる音と同時に、僕はガッツポーズを作った。

 瞳ねぇとキスできたことが嬉しかった。そして、お互い口にはしなかったけど、これは相思相愛間違いない。

 僕は自分の気持ちを伝える前にキスしてしまったことを少し後悔した。だから、飲み会の後にちゃんと告白しようと思った。



 扉を閉めてアパートの階段を降りる。そして、少し通り歩くと、徐々に心臓の鼓動は落ち着いてきた。だが、緊張で指先でまだ少し震えている。

 頭の中はさっきのシューヤ君との出来事で一杯だった。

 私とシューヤ君はキスをして抱きしめ合ったのだ。

 私は唇に触れてみる。まだシューヤ君の唇の感触が残っていた。そのことが、さっきまでの出来事が現実だったと教えてくれる。

 まさか今日シューヤ君の家に行く時には、こんなことが起こるなんて想像していなかった。もちろん何も起こらないとは思っていなかった。前回、シューヤ君は私の手に触れた。だから今日は手を握るかもしれないと思っていた。だからそれくらいの心の準備をしていたのだ。

 それがキスをするなんて。そしてキスしただけでなく、さらに私を優しく抱きしめ、頭を撫でてくれるなんて。

 想定外の進展の驚いた。

 だがもっと驚いたのは、私はシューヤ君にキスをされた事が嬉しかったということだ。さらに、抱きしめられ頭を撫でられることが、嬉しさだけでなく安心感や安らぎを私に与えてくれた。

 自分の心の中が想像もしていない反応でびっくりする。

 前の彼氏の時にはこんな風に思ったことはなかった。一応男女の付き合いだったから、キスからセックスまで一通りのことは経験済みだ。だが、あの時の私はこんな気持ちになったことはなかったと思う。

 だが今の自分は違う。私はもっとシューヤ君とキスをしたかった。もっとたくさん撫でて欲しかった。もっと一緒にいたかった。もっと触れて欲しかった。

 これが本当の自分なのかもしれないと思った。あの時の私は、自尊心やプライドみたいなものに邪魔をされて自分の感情を正直に受け止められなかったのかもしれない。だから、彼氏ともすぐに自然消滅してしまったのだろう。

 だがシューヤ君の前ではありのままの自分を受け入れることができた。やっぱりシューヤ君は特別なのだ。

 そんな事を考えていると、あっという間に家に着いていた。

 先週はシューヤ君と別れたら一瞬で試験モードに切り替えることができたが、今回は難しかった。試験の事を考えている隙間から、シューヤ君の事を思い出してしまうのだ。今からでもまたシューヤ君の家に行こうかと考えてしまう。

 大丈夫。試験が終わったら、またシューヤ君に会える。そう自分に言い聞かせる。

 そして次に会ったら、ちゃんと自分の気持ちを伝えよう。

 そう胸に誓った。

七月十八日 (水曜日) 23時 居酒屋「ちょーちん」


「お疲れ様でーす」

 と言って、スタッフルームに入る。今日は、俺と新人の立花栞という女の子の二人でバイトだった。栞ちゃんにゴミ捨てを教えたから、これで今日の仕事は終わり。二人でそれぞれの更衣室へ入っていく。

 最近は試験期間のため、他の学生アルバイトは休みを取ってる人が多い。

 幸いなことに俺はもう講義はなくてゼミだけだから、バイトをする余裕がある。就活も、既に外資系コンサルの企業から内定をもらっているので、ゼミに参加さえしていれば卒業と就職が決まっていた。

 だから、試験期間中だがこの「ちょーちん」のバイトを続けていた。

 俺は更衣室で着替えたあと、スタッフルームのソファに腰掛けた。新人の栞ちゃんは、着替えて出てくると、「智樹先輩、ありがとうございました!」と元気に言って、帰って行った。俺は新人ちゃんのお尻を見送っていると、入れ替わりで森さんがスタッフルームに入ってくる。

「お疲れー、智樹君」

 と言いながら、森さんは向かいのソファに座った。

 アルバイトが少ないため、今はマネージャーの森さんもフロアスタッフとして働き、なんとか回している状態だ。森さんの額には汗が流れている。

「森さんもお疲れ様っす」

「いやー、バイトが足りなくて大変だけど、智樹君が出てくれるから助かるよ」と労ってくれる。

 森さんは四十代の独身で、居酒屋「ちょーちん」のマネージャーだ。明るく俺たちバイトにも優しいため、バイト仲間からの評判はすごくいい。だが、森さんはいい人なだけではない。

 俺は少し声を低くして、「森さん、相変わらず面食いっすね」と言うと、森さんはニヤッと笑った。

「いいでしょ、智樹君」

 と満足気だ。これは、今日一緒に働いた新人のアルバイト、立花栞についての会話だ。栞ちゃんは四月に大学入学したばかりの初々しい十八歳だ。そして、比較的整った顔立ちのロリフェイスだ。胸は分からないが、お尻は大きくて、目を引く。ロリフェイスを大きなお尻だけで、十分魅力的だ。

 このように、「ちょーちん」で働く女性スタッフは、みんな容姿がいい。だから、森さんはアルバイトの面接の時に、容姿とスタイルで採用を決めているという噂がある。

 その噂は事実だ。森さんは、自分の好みで合否を決めている。

 周りの社員さんは知っているが、アルバイトの中では俺だけが、森さんの本性を知っている。

 森さんの本性、それは女好きと言うことだ。

 だが、森さんがモテると言うわけではない。残念ながら森さんは身長も高くないし、頭髪も薄い。さらにお腹は少し出ていて、シワは深く無精髭で、歯は黄ばんでいる。年齢以上に老けて見える。

 だから、森さんの女好きと言うのは、キャバクラのようなお店が好きということだ。

 俺がアルバイトを始めてすぐの頃、バイトの飲み会に連れて行かれた。幸いなことに、俺は体育会系の部活にいたため、お酒には強く、そういった雰囲気にも簡単に馴染むことができた。

 周りのバイトが飲んで潰れていく中、俺だけは森さんやスタッフさんの話し相手となり、飲み会が終わる最後まで付き合った。

 すると、三次会が終わった後、森さんは俺をキャバクラへ連れて行ってくれた。それが、俺の人生で初めてのキャバクラだった。

 そしてそこは、森さんが行きつけのキャバクラだった。そこで俺は、森さんのキャバクラ好きを知った。キャバクラに入った後の森さんは、仕事中の森さんからは想像もつかないほど、笑顔だった。

 だが、飲んだ後に連れて行ってくれるのは、キャバクラだけじゃなかった。実は森さんは大のキャバクラ好きだが、大の風俗好きでもあった。デリヘルやピンサロといった風俗も常連で、酔うと必ずお勧めの嬢について力説してくる。

 普段は大人しくバイト仲間からの信頼も厚い森さんが、実はこんな風俗好き何て他のバイト仲間では俺だけしか知らないだろう。

 だが、キャバクラ好き、風俗好きのおかげで、森さんは四十代後半に関わらず、ワンルームの安い部屋に住み貯金はほとんどないらしい。

 だがそれでも、森さんは今を楽しく生きている。

 そうやって色々なお店に連れて行ってくれる森さんは、弟に悪い遊びを教える兄のようだった。だから俺も森さんを兄のように慕った。

 一時期は部活に集中していたが部活を辞めた時に、森さんが声を掛けてくれたので「ちょーちん」に戻ることにした。


「でね、智樹君。今度はパパ活に興味があるんだよね」

 さすが森さん、二人きりだとゲスい会話をする。

 俺は笑いながら、聞いてみた。

「もし森さんがパパ活するとしたら、うちのバイトだと誰っすか?」

 森さんは意表を突かれた表情をしたが、

「うちのバイトかぁ……レベル高いなぁ」

「さっきの栞ちゃんですか?」

「栞ちゃんは確かに高校生のコスプレしたいかも……」

 二人きりだとこの正直な変態感がすごくいい。

「それじゃあ絵梨花ちゃん?」

「絵梨花ちゃんも愛嬌があっていいね……」

仕事の時以上に真剣な顔をして悩んでいるのが面白い。

「あ、貴子ですか!」

「違う違う!貴子ちゃんはパパ活というよりキャバ嬢っぽい!」

 森さんのリアクションが予想通りで笑ってしまう。色々と候補を挙げたが、正直森さんの本命は分かっている。

「やっぱ瞳ちゃんですか」

「うん……みんないい子で可愛いんだけど、やっぱり瞳ちゃんが一番かな」

 と頷いた。俺は内心、やっぱりそうだろうなと納得していた。

「瞳ちゃんが相手してくれるなら、十万でも払うね」

 確かに柏木瞳レベルなら、ほぼ芸能人と言っても過言ではない。相当高いだろうな。まぁ、本人は絶対にやらなそうだが。

 そこで、少し別の話を振ってみた。

「そう言えば、瞳ちゃんと修也って最近仲良いですね」

「あ、やっぱり智樹君も思ってた?俺も何か二人いい感じだなーって思ってたんだよね」

「やっぱりそうっすよね……。すいません、森さん。ちょっと相談があるんですけど……」

 俺は少し策を巡らすことにした。

「どうしたの、智樹君」

 今までの付き合いもあったので、森さんはきっと俺に協力してくれるだろうと確信していた。

「実は俺も瞳ちゃんのこと狙ってたんです」

「え、そうなの?」

 森さんは心底驚いていた様子だが、すぐに頷いて「そうか、智樹君もかぁ」と一人で納得している。

「そうなんです。それで、もしこれから機会があれば、俺と瞳ちゃんを二人っきりにさせてもらえませんか?」

 このくらいのお願いなら、森さんは断らない。そう思っていた。

「うん、分かった、いいよ。智樹君との付き合いの方が長いからね」

 と言って、ニヤッと笑った。黄ばんだ歯が少し見えた。

「ありがとうございます!さすが森さんです」

「こっちこそいっつもシフト入ってもらってるからね。でも、もし何か進展があれば隠さず教えてね」

「分かりました」

 これで森さんの協力を得ることができた。あとはタイミングだ。

 今まで何度か柏木瞳を食事に誘ったが、全て断られている。となると、二人きりで会うことは難しい。

 どこかのタイミングで二人きりになることができれば、俺にもチャンスがあるはずだ。四月に入ったばかりの新人君に、あの美人を取られてたまるか。絶対に俺のものにしてやる。

 待ってろ、柏木瞳。

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