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瞑想による脳栄養学 いいイメージと悪いイメージと脳への影響

潜在意識と脳に瞑想は栄養を運んでくれる

私達が生きているのは栄養を体内に取り込んでいるからです。
この飽食の時代、栄養過多で逆に人は病んでいる皮肉な時代を私達は生きています。

当然、脳にも当たり前のように栄養は届いて、まともに私達は考え感じることができているわけです。

ただし岩波先生の脳覚醒プログラム(脳覚醒瞑想)ではちょっと違っています。
より深く超瞑想状態を味わうためには、お腹を満杯にして参加しないように言われてましたが、ハングリーな方が脳がより深く作動するようです。
実際にお腹がパンパンの時と、朝から食事を取らず昼飯も取らずに参加した時とでは、はっきりとした深さの質の差が感じられました。

とはいってもプログラム参加前に食事を取らないほうがいいわけであって、栄養は結局は大事なものです。
要はハングリーなギラギラした精神状態のほうが、短期的に大きな力を出せるわけです。
脳に栄養を与える、どちらにしても必要なことでしょう。

ここから本題に入りましょう。
脳への栄養と言っても、何も栄養学の範疇で言われている一般的概念の栄養だけではありません。
人間には『心』があります。
幸福感、愛、一体感などは、まさに脳に最高の栄養を与えてくれるものです。

しかし愛や幸せや感動を感じられない脳は病んでいきます。
脳内ホルモンバランスが崩れ、理由なき倦怠感、イライラ感、不安感、恐怖感、焦燥感、抑うつ感に苛まれ、食事や漢方でいくら脳に栄養を与えても、焼け石に水になってしまうのです。

これが常態化するとうつ病になり、日常生活もままならなく、毎日が死にたい感情におそわれ、ますます脳に精神的栄養が行き届かなくなる最悪の流れに入っていくのです。
瞑想をやる多くの割合で、うつ病までいかなくとも、この脳に精神的栄養が届いていないことに何処かで感じている人が占めていると思います。
いつの間にか人生が思い通りにいかず、脳力もなかなか発揮できず、妙に重いものを抱えて生きざるを得なくなり、こんなはずではなかったという人が瞑想に救いを求めている現実があります。

そして瞑想が、脳に栄養を与えられる方法なのです。
瞑想がうまくハマった時の安らぎ、あるいは高揚感、あるいは一体感、あるいは宇宙的体感などは、確実に脳に栄養を与えてくれます。
このストレスだらけの世知辛い世の中で疲弊している脳に、極上の栄養を補充してくれるのです。

ただし、瞑想はそう甘くはありません。
うまくことが進むなどほとんどないのです。
逆にうまく進んだからこそ、不安とあせりと恐怖に苦しめられてしまう危険性もあります。
さらにやれば、それらの悪い感情も抜け出ていってくれますが、やれば瞑想が深まるものでもないため、悪い感情を味わっただけに終わる可能性もあります。

しかし、瞑想の可能性(脳への栄養補充)を知っているからこそ、効果が少ししか感じられなくてもやり続けてしまうのです。

問題は脳に栄養を十分に与えらえるかということです。
これがなかなか難しく、瞑想で心が安らいだとしても、辛く苦しい現実社会ですぐその効果などすり減っていくわけで、これも焼け石に水となってしまうでしょう。

そこで覚醒瞑想状態の出番です(私が以前から超瞑想状態と言ってきたものです)。
まず100倍、いや信じられないでしょうが、実際の感覚で1000倍も瞑想がうまくいった時の幸福感や愛に包まれた感覚を味わえます。
その時の感動といったら言葉にできませんし、文章にすること自体野暮なくらいです。

それだけで日常の疲れもすべて吹っ飛ぶぐらいの脳への精神的栄養が補充されますが、さらにものすごく感覚が深い中での最高のリラックス状態、まどろみ状態がしばらく続きます。
インパクトプラス余韻の長さを味わうことで、疲れもストレスも日々の悩みも未来への不安も全部なくなった安心しきった世界に身を置けるのです。

まさに無の世界でありながら、しっかりと異常に心地良い感覚を得られるのです。
そして、モチベーションの急激な上昇と、「私はなんでもできる、私しか成し得ないことがある、それをやれるのだ、できる!」といったような絶対感がむくむくと湧いてきます。
幸福感だけじゃなく、野心や夢といった前向きに走るための栄養も覚醒瞑想で補充できるのです。
これでは脳に悪いわけがないのです!

最近、精神的栄養を脳に与えていますか?
逆に、悪いストレスや抑圧しか与えたまま生きていませんか?

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