草抜き文化

こんにちは、じーこです。

自分の家を買い、お庭を持ったはいいのですが、

小さい頃から一軒家というものに住んだこともなく、お庭がどんな風に日々、あるいは季節によって、年々と変化をするのかを知らなかった無知な私。

真砂土を入れて綺麗にならしてもらい、子どもが出来たときにたくさん走り回ってくれたらいいなと思っていました。
しかし、そんな思いは住み始めて1年しない間に、薄れることに。

みるみる出てくるのは雑草という、名もなき、いや、名前も知らない草と可愛いお花。
年々その範囲は広がり、いつの間にかちょっと見ない隙に、

生い茂る草で歩けない場所

になっていきました。

初めから、花壇や歩く通路を作ればよかった。
時すでにお寿司。。。

毎年、草抜きという行為と向き合うことになりました。
もちろん、草抜きをしたことない訳ではなかったのですが、尋常じゃない草の量に、私は見て見ぬふりをしていたのです。

でも、草と向き合うと、意外と面白いことを気づいたのは3年目の春。
草によって根っこや増え方が違うことを、「抜く」行為の中で感じることができたのです。

天然の芝の生え方、増え方
竜のヒゲのネットワーク
タンポポの根っこの強さ、などなど。

それぞれの草抜き行為は、全て異なっていました。

私は、小さな頃にこの経験をあまりしてこなかったことを後悔しています。

手先の巧緻性が発達していく幼い頃に、このような多様な草と向き合うだけで、感じる手先とそれに応える手先の動きが養えたのでは!と。

でも、子どもの頃それをしても、適当に見えてるところをプチプチちぎっておしまいになっていたかもしれませんが。

とにかく、機械などを使わずに、手仕事として、庭を手入れすることが、いかにココロにもカラダにもいいかということです。

疲労はありますが、終わった後のなんと心地いいこと。草と向き合っている時の無心な感じ。

とても気持ちいいです。
これぞ、

豊かな生きるの発見です。

その後、幼稚園の子どもたちの為に、畑と田んぼを作りました。子どもたちはそこで、芋を植えたり、田植えをして収穫の秋を楽しみます。
もちろん、草抜きを手伝ってもらい、草抜き文化を伝えようとしているところです。
子どもは、すぐに虫や草、土で遊び始めますが、それも大切なこと。
手仕事の中で見つけた遊びです。
何か作り上げるときには大変な思いをしている人がいるということも、自然と感じられるのかもしれませんね。

J.J.Gibson(1986)が著書、生態学的視覚論で提唱した、「〜を提供する」というaffordを名詞化したアフォーダンスという造語を借りて、

「草抜きのアフォーダンス」

私はこう呼んでいます。
草の情報を手で触れ感じ、その草特有の抜き方が生まれます。
昔の人は当たり前に知っていた事柄なのかもしれませんが。。

子どもたちにとって、人間にとって、YouTubeやテレビで視覚的に情報を見ているより、大切なたくさんのことを感じてもらえてると、私は思っています。

たくさんの雑草たちの抜き方のスペシャリストを目指します!笑

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