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きょうだい(児)支援の在り方

株式会社BP&Co.ではいくつか大型のプロジェクトを手掛けているが、その一つが、「きょうだい映画制作プロジェクト」である。

これは、BP&Co.のCOOの三間自身が「きょうだい」として、プロジェクトオーナーとして進めているプロジェクトだが、この映画がこの度、Ameba Primeというニュースで取り上げられた。#アベプラ #きょうだい #きょうだいの結婚

映画をフックに、スタジオで「きょうだい」の人たちを囲んでコメンテーターたちが、「きょうだいの結婚」の難しさや必要な社会体制などについて語るという取り組みだった。

「きょうだい」の実態を世間に「知ってもらう」という意味では、これまでほとんど語られてこなかったからこそ、ナイストライだし、こういった番組が組まれるぐらいに注目度が高くなっていくのは素晴らしいとは思うが、番組を観ての正直な感想は、

「ガッカリ」

だった。これから、社会をどう変えていったらいいのか、具体的施策はなんなのか、ということが全く語られていなかった。

番組では、自閉症の兄のいる男性が、結婚相手の母親に「子供に遺伝する可能性があるから」と言って結婚に反対され、結局、結婚が破断になった、という経緯が語られていた。

この話に、「そんな差別がおかしい」「母親の気持ちはわかる」など様々な意見が合ったわけだが、こういった事象に対して、

「で、どこに本質的な課題はあるのか?」ということが語られ、課題を細分化して対応をしていかなければ意味がない。

なので、この記事では、#アベプラでは、本来、どういう議論がなされるべきだったのか?に切り込んでいきたいと思う。


課題を分解すると大きく3つになる

「アベプラで出演されたきょうだいさんが結婚相手の親御さんに反対されて、その後、"自分の運命だから仕方ない"として結婚を半ば諦めている。」という状況の課題を分解していくと、まず、大きくは

1)結婚相手の母親の無知
2)  結婚相手の母親の「障がい者」への偏見と排除
3) きょうだい本人のメンタリティ

という3つに分解される。

1)結婚相手の母親の無知

というのはどういうことかというと、「自分の孫が、遺伝により障がい者になることは絶対に避けたい」という思考が見えることだが、ここがそもそも間違いであり、知識の欠如さを露呈させる。

というのも、

①障がい者が生まれるかどうかに、遺伝性かどうか科学的に立証できていない 

②「障がい」と一口に言っても様々あり、たとえ先天的には健常者として生まれても、成長過程で事故に遭って身体障害者になるケースもあるし、家庭環境によっては後天的に精神に障がいを来たす可能性がありうる。

つまり、どんなに健常者家族同士で結婚したとしても、家族に障がいを持つ子が存在する可能性は、統計学的にも10%の確率で起こるものであり、誰が結婚相手だろうと、障がい者を絶対的に避ける、ということ自体が無理なのである。

その母親の無知さが露呈させている。
これは、単純に、こういう統計学上の数値を知らない、遺伝が立証されていないということを知らない、ということなので、これは、もっと社会常識として知られる必要がある、メディアも正しくここを伝えていくべし、ということが解決方法になる。

2)  結婚相手の母親の「障がい者」への偏見と排除

これは無知さ故の偏見と排除なのだろうが、ここが社会の根底にある、「障がい者」を「どう捉えるか」という視点である。

「障がい者」=「大変」「苦労する」

というイメージが先行しているのだろうが、確かに現在の社会ではそういったことは否めないわけだし、家族として一緒に暮らす、一つ屋根の下で暮らす、ということが綺麗事で済まされるわけもないわけだが、

「障がい者」もまたインスパイアをくれる人として尊敬する眼差しが社会に存在すれば、そもそもこういったことが起こらないはずであるし、

誰もが「障がい者」を受け入れる素地があり、家族のみならず行政やご近所、地域住民など、両親以外の「みんなで育てる」「社会で育てる」という概念が当たり前になれば、そもそも「障がい者を育てること」自体が、そこまで大変だったり苦労しない未来を創れるのだ。

障がい児育児を大変にしているのは、障がい者を受け入れない社会がそうしているのだ。

ただ、あまりにも「障がい者」という実態が知られていないことが、知らないからこそ、


「近寄りたくない」「関わりたくない」

ということにつながっているので、これはもう、「障がい者本人」や「障がい者が身近にいる家族」らが、社会に声上げていき続けなければ、社会の「障がい」に対する眼差しは変わらない。ここの解決策は3)とも密接に関わることになる。

3) きょうだい本人のメンタリティ

そして、今回、大きく語りたいのが、上記1)や2)の課題を背負って生きてきた、「きょうだい」という存在がどう生きていくべきか、ということである。

ここまでの課題である、

1)障がい者というのは統計学上、人口の1割は存在するという事実に対する世間の無知
2)障がい者とは「関わりたくない」/家族にはいて欲しくないという排除と偏見

というのは、とにかく、この実態を知っている人が声を上げて行かなくては、社会はいつまでも変わらない。知ってもらう努力を、誰かがしなければならないのだ。

確かに番組に出ていた事例に当たった彼は不憫な立場や状況に置かれたとは思うが、それぐらい、「障がい者」に対する無知と偏見が蔓延った世の中だ。そういった理解ない親がいてもおかしくはない。障がい者が存在する割合が1割という統計があるように、「偏見」「無知」な親に当たる確率もまた、1割どころか、一定層いるであろう。

だけど、同じように、普通に結婚できている「きょうだい」もまた一定層いるのである。私もその1人であるように。

縁談が破断になるのは、「きょうだい」だけに起こっている訳ではなく、世の中のカップルは、実に様々な理由で、結婚直前に破断になることがある。

だからこそ、ならば、その事実は受け止めて、「理解がない親で、縁談自体も、本来はご縁がなかった」「別な本当に結ばれるべき人がいるんだな」ということで、癒されるのに時間はかかるだろうが、特にそこで自分の運命を呪う方向に行く必要はないのだ。

・・・と、ここまで書くだけだと、「何を簡単に書いておる」「それができたら苦労しない」「お前は結婚できたからそんな偉そうなことが言える」という反論が来そうだが、待ってくれ、ここからが本題であり、私がこの記事を書いている本当に伝えたい真髄だ。

つまり、「きょうだい」が、自身の体験からも、社会の課題1)や2)が解決されるための声を上げていくためにも、社会の1)や2)の課題を受け止めつつ、自尊心を高く、自己肯定感高く、自分の人生を生きていくことこそが、非常に大事なキーになるということだ。

でも、多くの「きょうだい」は、社会の課題1)や2)が解決されるための社会へ旗を掲げ、声を上げていくだけの「声(言語化力)」を持っていないことが多く、なんなら、自分がきょうだいであることさえ誰にも話さなかったりする。それはなぜか?

それは、きょうだい自身が傷つき、自尊心が損なわれているからだ。

ならば、だ。きょうだいの傷ついた心が癒され、きょうだいたちの自尊心が満たされることが、社会課題の大きな解決に繋がるはずだ。

だからこそ、私が提言したい3)きょうだいのメンタリティに関する解決策はこれだ。

①きょうだい本人が幼い頃から、きょうだいの実態に理解あり、きょうだい本人が絶対の信頼のおける両親以外の大人の存在(カウンセラーなど)
②家にいるのが辛いときは頼れ逃げ込める場所があること(シェルター)
③両親へのカウンセリング

①が必要な理由

きょうだいは、両親が障がいある兄弟姉妹で手一杯なことを知っているので、自身の辛さを両親には打ち明けられないから。だがしかし、なかなか真に信頼できる大人が見当たらないのが現状だ。だからこそ、スクールカウンセラーなど、学校現場に学校教員以外に、こういった課題と子供の心への寄り添い方を知っている専門家がもっと増やされるべきである。(なさられないのは、日本の教育予算が先進国のそれに比べて低すぎるからなのだが・・・)

②が必要な理由

障がいの程度や種類によるが、精神障害などで暴れたりする兄弟姉妹の場合、家にいることは、冗談抜きで身の危険があるからだ。家が殺人現場になりかねないほど、障がい児自身か他の家族の誰かが死にかねないのだ。きょうだいが身の安全を確保し、身を寄せられる物理的な場所があることは、とても大切である。だがしかし、よくある行政の「ハコモノ事業」のように、ただシェルターのみが存在すれば言い訳ではなく、①とセット、つまり、きょうだいが安心して胸の内を打ち明けられる大人の存在とセットでなければならない。


③が必要な理由

そもそも、親が子供の障がい受容をしておらず、さらには障がいを「恥」だと捉えて隠したがる場合があるからだ。きょうだいが①や②を求めることすら良しとしないケースがある。だいたいにして、きょうだいが苦しくなるのは、こういった親自身にある「レッテル」であり、親もまた自身の親子関係からヘンテコな思い込みから開放されていないばかりに、人に頼る子育てができず、障がい児のみならず、せっかく健常児に生まれたきょうだいまでもが精神疾患を発症してしまうケースに繋がってしまう。障がい児育児というは、本当に大変なのだ。ただでさえ、健常児の育児でさえ大変なのだから、「恥」とかいってないで、地域に、周りに、助けを求め、親もまた、気持ちだけでも楽にならねば、やっていられない。障がい児/きょうだい児の両親にこそ、物理的かつ心理的な側面での支援が不可欠なのである。

さらに多くの支援(解決策)

さらなる具体的解決策を挙げるとすれば、

④障がい者自身へのカウンセリングと療育
⑤障がい者福祉に関わるソーシャルワーカーへのカウンセリング
⑥障がいなき健常者側への自己理解と他者理解教育

だと思っている。

④が必要な理由

「障がい者=人格者」ではなく、障がい者本人も自身の障がいを受容し人格を成長させていく必要があるからだ。障がい者だから何でも許されるわけではないからだ。障がい者もまた成長し、世の中のルールを知っていくこと。後天的な理由でや、成長過程で発覚した障がいについて、障がい者自身が障がい受容をし、自身を諦めるのではなく活かせる生き方を模索していくこと。ここは療育と心理の両方の領域かと思うが、とても重要なことである。


⑤が必要な理由

障がい者福祉に携わる方々の中には、自己受容ができないまま、自身の満たされない想いを補う形で従事している方がいるから。仕事が辛くなってしまう状況に陥る前に真の自己理解が必要。障がい者にも障がい者の家族と接する上でも、福祉に関わる方々も、何か自分の満たされないものを投影せずに真に自身の仕事を心から楽しめる状態で生きるためだ。

⑥が必要な理由

障がいなき健常者もまた障がい者ほどでなくとも、コンプレックスを抱えていたりと充分な自己肯定感を持っていない場合が多い。これが無自覚のうちに、弱者を排除する態度に出たりする。だからこそ健常者こそ自己理解を。そこから真の障がい者理解が始まる。


ざっと分けて、これだけの解決策があると考える。総じて、全ての当事者が「自己理解」を進めること、話はそれからだ!と思っている。


BP&Co.では、これらを一つ一つ丁寧に解決に繋がる事業を展開していく予定である。

映画プロジェクトはこの、壮大な計画の中の序章にすぎない。

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