未亡人日記35●夏至前
「ちょうどいいところに来た」
そういって、マンションの裏の戸口から出てきた中年(わたしより少し年上風)の、ボーダー柄のトップスを着た女は、2ひきの子犬(トイプードルとか、そういうかんじの)のリードを持って、私の前を歩いてた上は白いワイシャツ、下は黒のスラックス、という中年男性のほうにぬっと近づいてきた。
「どこの背中の曲がったお爺さんかと思ったわよ」
小犬たちは、お祭り状態で、キャンキャンと直立して男の黒のスラックスに爪を立てて歓待している。
(多分この夫婦の子供はもう大きいんだろうな、こんな小犬たちみたいにお父さんが帰ってきて喜ぶこともないんだろうな)。
妻はおそらく、遠景で見たときは客観的な視線をもって、男がもう初老で、背中が曲がっていて、だいぶくたびれていることを認識したんだろう。そして、はっと、それが自分の夫だと気がつくと、その客観的視線が、次第に自分の親しいものの、見慣れたもの、自分に属するものをみる目に移り変わっていき、そんなにくたびれているわけでもないかな、と、コンマ5秒ぐらいであたたかい目で修正をして、最初の視点を忘れ去っていくんだろうな。
この後、たぶん夫は、犬の散歩を言いつかるか、妻の代わりに何か買い物にいかされるのか、とにかく、なにか命令されるんだよね。
妻はそれを当然と思うし、夫は「はいはい」と従う。社会的にはひとかどの地位にあったり、何か、ことを成し遂げてはいても、妻にはいいなり。
くたびれた中年夫婦のありふれた夕方の一コマは、夏至前で気が高揚しているような気がめいっているような、私の気持ちにピンを刺した。
わたしだって、交差点で遠くにいる男の人が、なんか好みのタイプだなあ、と思って信号が変わって横断歩道を歩いて近づいたら夫だったことがあるんだぞ。
わたしだって、「ただいまー」「あれ、今日早いね」っていうやり取りが日常だったことがあるんだぞ。(そのあとなにか飲むよね、たとえば夫が買ってきたビールとかね)。
「も―早く帰ってきて」と子どもたちの喧嘩に耐えかねてメールを打つことだってあったんだぞ。夫は帰ってきてくれたこともあるし、「勘弁してよ―仕事中だよ」って返されることもあったぞ。
過ぎ去っていく過去はそれがごくありきたりであればあるほど、再現できない難しさだ。
だいたい、この二人のこのクリシェのようなやりとりが可能になるまで、だいぶ時間が熟成しなければいけないのだ。
失われたものはいつも美しい。
このクリシェを生きている、くたびれた中年カップルは、自分たちが美しいことを知らない。
私は知ってしまった。
こういう光あふれる夕方。
「おかえり」
「ビール買ってきたよ」
「いいね」
って。
夏至前の夕方は長い。
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