未亡人日記30●Road to Nowhere


「ぴあ」をみて、パルコの映画館。パルコの最上階の映画館へ行く。もちろんほかの館でもいい。シネマライズとか、日比谷のシャンテとか。楽しみにしていた単館ミニシアター映画を見るというのは大学生のころの自分の文句ない休日の過ごし方であったなあと、だれかに言いたい、だけどだれともそれを共有できない。

この列に並んでいる人たち。たまに30代ぐらいに見える若いカップルもいるけど、50代の同世代とまあまあ、少し上が偏在している。

デイヴィッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」を見に来たんだ。
今朝ネットで予約したんだけど席は一番前の左から2つ目。コロナ対策で1席飛ばしなので非常に快適である。
椅子もいいし。包み込まれるように椅子の中に隠れて、自分の前にはスクリーンだけ。音楽と舞台だけ。デイヴィッド・バーンの声とダンス、ミニマルな舞台設定、自由にはだしで動き回る。太鼓が印象的。ダンス。

コロナのせいでライブ成分が生活に全く不足しているのでこの映画を静かに見るのは無理だ。踊りたい。うずうずする。

夫と最後に一緒に行った最後のライブは2014年のサマソニになってしまった。クラフトワークだったよね、たぶん。

ダンス。

席が一席飛ばしなので、私はこんな風に思う。カップルで来ても一席飛ばしなんだろうか?
この映画は夫が生きていれば一緒に来た、もしくは一緒に来れなければ別々に見に行って、そのあと見てきた感想を家で話すよね。

前者は007シリーズで、後者はたとえば「裏切りのサーカス」のような映画だ。
一緒に来たらカップル割引という名のシニア老夫婦割引がもう使える。今日は水曜日だから一人で来ても水曜割で1200円で見たけど。

しかし不便だ。自分の見たもの、聞いたものを話せる、というのは、同じ文化の前提、同じ趣味、ある程度の世代的共有バックグラウンド、そんなものが必要で、息子たちには話せないのだ。同じ家の中でそれを共有できてたなんて奇跡のようだ。私は何て大きなものをなくしてしまったのだろうか。

それで、夫と一緒に映画館で見た最後の映画はなんだったろう?「シンゴジラ」?
「007」のシリーズは病気後に一緒に見て「まさか見にこれるとは思わなかった」と夫は言ったよなあ。
思い出せない。

夫と付き合う前に最初に見たのは「みんな元気」というマルチェロマ・ストロヤンニが出てくる映画だ。銀座のシネスイッチだ。雨が降っていたな。3月だった。シネスイッチももうない。

夫は死ぬ前に「このごろ、昔見た映画がもういちど見たいんだよね」って言っていたなあ。「そして人生は続く」って、思いたかったのかもしれないね。

デイヴィッド・バーンの声が好きなんだ、私は。
夫はこのデイヴィッド・バーンの変なダンスを家に帰って真似したろうなあ。「ストップメイキングセンス」の真似もしてたから。
パンツ姿で踊ったりするんだろうな。

最近は三男がBTSのダンスを毎日踊っている。三男はダンスがうまい。夫の系統ではないな、と夫の不器用で笑いを誘う動きを思い出している。
そしたら急に涙が出てきた。いやライブが圧倒的なんだけど、もちろんそれだけじゃない。

生きている間に夫とカラオケにいったことはおそらく5回以内だけれどそのうちの1回。そのとき、デイヴィッド・バーンの「Road to Nowhere」を歌っていたことを思い出したから。なんで夫はそんな曲を選んで歌っていたのかな。そして私はなんでそれをその時印象的に思って、そしていま思い出しているのかなあ。

この道はどこへ続くわけでもなく。
もう涙が止まらない。夫のことを思い出している。

そうしたらスクリーンの中でデイヴィッド・バーンが歌いだしたんだよ。
その曲を。映画の最後に。
「Road to Nowhere」

最高でしょ?

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