【掌編】そのロープが吊るもの
ここは2100年の日本。
こころの健康が何よりも尊ばれるうつくしく、おだやかなせかいです。
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2100.5.11 8:56pm bia ■■■■client
やあ。
こんなところに潜り込んで来るくらいだから報道の違和感には気付いているんだろ?
そう、今朝亡くなった彼。
突然死ってことになっているけど違う。
彼は自らの意思で、ロープで首を吊ったのさ。
いわゆる、自殺ってやつだね。
もうこの単語がインターネットも含めた公共空間から消え去って40年くらい経つけど、それまではちっとも珍しいことじゃなかった。
20代・30代の若者の死因は自殺がずっと一位だった。ありふれた事象だった。
もう老衰以外で人間がどうやって死ぬのか知らないやつらには信じられないだろうけどね。
1990年代の終わりは結構マジに「終末論」がもてはやされたりもしてね。
『完全自殺マニュアル』なんて本が100万部のベストセラーになってたんだぜ。
読んでみたい?
そこのリンクからBTCを送ってもらえればデータのキーを送る仕組みになっているよ。
>>https://……………………………………….
タダな訳ないだろ。
こうやって健康省に足が付かない形でサイトを運営するのだって結構大変なんだ。
見つかって一面真っ白のサナトリウムみたいな更生施設で「いのちのとうとさ」についてお勉強するなんて勘弁だね。
もちろん僕も実際に体験した訳ではないけれど、アーカイヴを見る限り人が亡くなっても死因を報じなくなる流れは2020年くらいから起きているようだね。逆に言うとそれまでは誰がどんな風に亡くなったのか普通にニュースで報道されていたし、俳優や芸能人が自殺したニュースでそのへんの人間は盛り上がっていたらしい。
「あんなにかっこいい俳優が…」
「あんなに陽気そうな人がどうして…」
とかそんなものだったんじゃないか?
ここまで徹底して、「自殺」って単語をほぼ封殺したと言っていい状況だけれど、実のところ自殺者数は下げ止まっている。
周りのやさしくてしあわせそうな連中の顔を思い浮かべると「なんで幸福な社会で人が自ら死ぬのか」疑問に思うだろうね。
その疑問を持つのはアンタが初めてじゃない。
デュルケームって社会学者がいるんだけど、彼は1897年に『自殺論』って本を書いている。
悪いけどね、こっちは僕も原著を持ってないんだ。
なんでアンタのアクセスを許可したのか?
……なんでだろうな…
一人で世界の在り様を直視するのが急に嫌になって誰かを巻き込みたくなったんだと思うよ。
「世界には【外側】があって干渉の余地がある」とか「僕らはその手触りを感じ取ることができる」みたいな幻想が、部分的にでも本当であってほしいと思っているのかもしれない。
もちろん、実際の世界がそうじゃないことに勘づかないほど鈍くはないつもりでいるけれど、そう思わないとさ…なんというか、耐えられないよ。
考えただけで頭がくらくらする。
どこまで行っても真っ白でやさしく、ふんわりしたものしかないなんて、信じたくないんだ。
だから、その幻想を欠片も持てなくなったとき、僕はとてもしんどい気持ちになると思う。
それこそ、首を吊りたくなるくらいに。