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熊本地震

 2016年4月14日と16日、熊本に2度にわたる大地震が襲った。熊本城はくずれ、阿蘇神社はペシャンコになった。
 この地震で行方不明者はじつは1名しかいない。その1名とは熊本学園大学4年生の大和晃やまとひかるさんである。
 阿蘇大橋を車で横断中、2度目のいわゆる本震に襲われ、大規模な土砂災害に巻き込まれた。
 早速警察、消防、自衛隊による捜索活動が行われたが、5月1日に捜査は打ち切られた。その2日後から父母と兄による捜索活動が毎日開始される。
 まだまだ余震が続くなか、危険な場所も多く、立ち入り禁止の場所もあり、捜索は捗らなかった。とにかく何らかの手がかりを見つけて、本格的な捜索再開へのきっかけを作りたいという願いから3人は必死で探した。現場周辺の写真を何枚も撮った。家に帰ってから写真を拡大し、手がかりになるようなものが写っていないか、食い入るようにチェックした。
 母は「冷たい川の中で、淋しかろう、おなかもすいてるだろう」と、おにぎりを作って川に流した。
 やがて梅雨に入る。水量は増し、流れは速くなり、土砂が流れ込み、捜索も困難を極めた。
 6月23日。阿蘇大橋下流約5kmの白川にて、テトラポットのようなコンクリートに黄色い金属片が見つかる。トヨタに確認したところ、晃さんが乗っていたトヨタアクアの破片であるとの結論に至る。
 7月3日、晃さんの友人たちが捜索に協力。
 7月24日、梅雨は明けていた。水嵩も減ってきた。阿蘇大橋が崩落してから丁度100日目、橋から約400m下流で車が発見される。
 この日は山岳部6名が捜索に加わったため、命綱をつけて約18メートルの崖を降り、ロープを使って川を横切るなど、厳しい捜索活動を可能にした。午後になり、体力の問題等も考え15時ぐらいから徐々に帰る準備を始めていたところ1人がさらに奥の河原まで入っていったので、戻ってくるまで待っていた。16時ごろその1人が黄色い車を発見したと報告にきた。すぐさまそばにいた8人で、その現場へ向かった。
 発見現場に到着した父の目の前には、大きな岩に囲まれて川に沈んでいる車があった。黄色いトヨタアクアだった。岩に囲まれていたため、これ以上流されずにすんだのだろう。ここから先は自分たちでは車を引き揚げたりはできない。早速行政に捜索を依頼した。
 8月10日。午前10時過ぎ、車の中から着衣の一部と晃さんの遺体と思われる人のようなものを発見した。
 そもそも晃さんは14日の前震で被災した友人に水と食料を届けに熊本市内に行き、その帰りに被災したのだった。
 翌年、3月24日、大学の卒業式。大学側は、被災した友人へ食料を届けた晃さんの行動を高く評価。特別学位を授与した。


 









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