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バレンタイン

 バレンタインのチョコ。世間の90%以上は義理チョコであろう。もらって嬉しいか、お返しを考えるともらいたくないか、いやそれでももらわなければ、人望がないと思われてまずいか、そもそもこんな面倒くさいものを誰が広めたのか。
 某ホームセンターの店長をしていた頃、バレンタイン禁止令を出した。お返しが面倒くさかったからと、やるほうも面倒くさいだろうと思ったからである。それが好評だった人もいれば、折角の楽しみを奪って、とにらんだ人もいた。政治の世界と一緒で右といえば左という人もいる。仕方のないことだ。
 学生時代は義理チョコという面ではもてた。女性の友人がたくさんいたからだ。中には本命チョコも少しだけあったが、うぬぼれるほどではない。
 アルバイト先の百貨店でしこたまもらった時は、いちおうみんなにお返しとして、ストッキングを買って配った。実用的で喜ばれたのはよかったが、本当にお返しを配るのが作業的にも金銭的にも辛かった。
 高校1年生の時、女友達から義理チョコを幾つかもらった状態でクラブの部室にいくと、3年生の女の先輩が巨大なチョコを作って待っていた。わざわざ僕らの為(男子4名)に作ってきたそうだ。初めて作ったそうで、普通初めてでもチョコ流して形作ってそれだけでうまいだろ、と思うのだが、砂糖とかミルクとかいっぱい入れちゃって、それはそれはくそ甘いチョコになっていたのである。
 強制的に食わされる運命となり、一口くらいならなんとかなるのだが、みんなで分けても晩御飯くらいあるのだから、なんぼくいざかりの高校生でも、この甘さには耐えきれなかった。それ以来当分チョコは嫌いになった。
 一度だけ何にももらえなかった年があった。
 就職浪人をして、目指す企業に入るべく勉強していた頃だ。バレンタインの日に一人で昼飯食べに近くの喫茶店によったら、中で店長と常連さんが話をしていた。「バレンタイン幾つチョコ貰った?」「3つくらいかな」「よかったね、もらえて」「世の中、チョコ貰えない奴なんていないでしょう」
 グサッと胸に刺さったが、俺には大望がある。チョコのひとつやふたつ、がなんだ、と思いながらも、チョコをいくつももらえていた時期が懐かしいな、ほんの昨年まではもらえていたのに、と淋しくなってきた。
 狙っていた企業は結局落ちて、ホームセンターに勤めることになり、再びチョコは自分が禁止令を出すまで、おばちゃんたちから毎年もらうこととなった。
 結婚してからは、妻から手作りのチョコをもらったりしていたが、いつのまにか歳をとり、今や形ばかりになってしまった。特別どこかへ行くわけでもなく、パーティをするわけでもない。
 けれど妻がずっとそばにいてくれるだけで、十分満足で、その意味でいえば毎日がバレンタインデイでありホワイトデイである。

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