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障害者になりたい?なりたくない?

ぼうけんのおとも🌈です。

先日SNSのタイムラインで
ふとこんな内容の投稿が流れてきました

A「障害受容なんて出来ない」
B「障害者になんてなりたくなかった」
C「障害者手帳は拒否し続けた」
D「普通が良かった。障害は害でしかない」


この投稿に共感する人が次から次へ
つまり当事者達の声が集まる

プロフィールを確認してみると
私の予想通り、事故・病気等により
車椅子や寝たきりの生活を
強いられている
「中途障害者」である。

人が障害者になる時は
生まれつきの先天性障害と
事故・病気等による後天性障害がある

私自身は視覚と聴覚の重複障害があり
それは不幸か?幸いか?
先天性の聴覚障害と後天性のような
視覚障害を併せ持っている。
それはどちら側の気持ちも
少しは理解できる立場だと思う。


冒頭で述べたネガティブな言葉は
もし先天性障害者ならば、
「普通が良かった・・・」
というような言葉はあまり出てこない

なぜなら初めから障害のある生活が
当たり前にあるため、何かと比較する
体験がないからだ。

中途障害の心の問題は
以前できたことが出来なくなる・・・
その喪失感というダメージが
計り知れないからなのだ。

もしかしたら、
健常者の時に障害者を
どこか遠い存在に
見ていたのかもしれない。

人によっては、つい昨日まで
差別していたかもしれない。

なりたくもなかった障害者に
明日突然なったとしたら・・・?

一般的に
それはとてもとても
耐え難いことなのだ。


そんな当事者に寄り添う周囲の理解と
適切なサポートを継続していれば
「冷え切った心」
「悲観的な思考の癖」

それらは
いずれ変わる時が来る

その長い長い冬が
いつしか雪が解けて
ぽかぽか春の朝陽が差し込む
彷徨い続ける長いトンネルを抜けたら
違う景色がきっと見えてくる

絶望のドン底に落ちた後は
這い上がるだけなのだ。

1つ大事なことは
自分で選択して
自分の足でしっかりと歩くこと

周囲から無理やりに
連れてこられるのではなく
「あの朝陽の向こうには
   何かあるかもしれない・・・」
そう信じながら
最後の勇気ある一歩は
自分自身で進むこと

私は・・・
心に勇気を宿したばかりの
勇敢な人を導く朝陽のような
存在になりたいのだ

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言い忘れていたこと

私自身は視覚と聴覚の重複障害がある
それは不幸か?幸いか?

その答えは・・・

間違いなく"幸い"である



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