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オリンピックのいざこざを見て日本を未来を考える|「自分には社会を変える力がない」という #呪いを解く冒険

 オリンピックが呪われているのではなく、特別脇が甘いのでもなく、ポリティカル・コレクトネスを欠いているにも関わらず「まぁ、しょうがない」と見逃してきたツケのように思う。自分を含め日本の膿が露呈しているだけなのかもしれない。これまではこれで許容されていたけれど、もうダメだよね、という転換期にしなければ、と思った話。

違和感はいつか大爆発するから
見て見ぬ振りは取り返しのつかない
不利益をもたらす

 オリンピックのドタバタを見ながら、開会式そのものを観ながら、「しょうがない」を積み重ねた結果かなぁ、と感じました。

 「どうしてこれを笑っているんだろうか?」「これは搾取ではなかろうか?」「あ、大義よりも、今ここを収めることにしたんだな」「なんかハラスメントされてるな」「男子校ノリじゃなくって、それただの男尊女卑だろ」などなど…。多くの人が心当たりがあるんじゃないかな、と想像します。こういうことに遭遇した時、「まぁ、しょうがない」とうっかりヘラヘラしてきた自分がいる。その空気感が、今の日本の一部になっている。

 オリンピックに限らず、日常で起きている「しょうがない」の塊が、オリンピックによって良くも悪くも可視化されたんだな、と感じました。

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