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電気ブラン、日立、銀河鉄道の夜

 浅草に神谷バーというところがあり、電気ブランというお酒が飲めます。この電気プランができたのはまだ明治の1882年。当時は電気が"最先端"を意味していたので、今だとITとかそういうニュアンスを持っていたと思われます。

 同時代に生きていた宮澤賢治の作品に電気が頻繁に出てくるのも、同じ文脈で解釈できます。1921年(大正10年)の「春と修羅」("有機交流電燈のひとつの青い照明"といった表現)を始め、宮澤賢治の作品に電気の表現が出てくるのは、電気が当時まだエキゾチックな存在だったであろうことが推測されます。賢治の親族が花巻の電気会社に関係していたことも影響していたかも知れません。


身近な例で言えば、私の祖父も電気技師でした。農家の息子でそのまま農家を継ぐのかと思っていたところ、叔父の誘いで長岡工業学校に進学します。たぶん、当時は電気は今のIT業界みたいな存在だったのでしょう。

祖父は卒業後、1922年から1926年までの4年間、今の日立製作所で働いていました。本人の手記を読むと、助川(茨城県日立市の当時の地名)の回転機電工場で働いたとあります。また祖父の指導員だった大津主任という方は、昼休みや休日に後輩に英語の原書の指導をします(このあたり、なんかいい感じの時代です)。当時メインに読まれていた原書はマイルス・ウォーカーだったと手記にあり、この人がどんな人と調べてみますと、どうも電気機関車の専門家。


日立は当時何を作っていたのだろうと調べると、1924年に国産で初めての電気機関車を製作したとあります。そうか、祖父は電気機関車の仕事に関わっていたのか。その後祖父は一時期満洲鉄道にも行っていましたので、たぶん正しそう。

そしてこの1924年は、宮澤賢治が「銀河鉄道の夜」の執筆を始めた年です。だとすると、銀河鉄道が何で動いているのか「動力」が気になります。久しぶりに読んでみます。


"「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが右手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。

「アルコールが電気だろう。」カムパネルラが云いました。"


ということで、正解はアルコールか電気でした。もし銀河鉄道の動力が電気としたら、それは日立製だったことでしょう。


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