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1990年のフリー雀荘


僕は1967年生まれの現在55歳のオッさんである。記憶力は良いほうだが、コンピュータではないから僕のフィルターを通してみたフリー雀荘であることを先に言っておく。あそこは違ったなぁ、ここはこうだったの思い出話は大歓迎。でもそんなんあり得ないとかのクレームはやめてちょーだいね。

でははじまりはじまり〜( ̄▽ ̄〜)

全自動麻雀卓

当時は、全自動麻雀卓の普及率は80%程度だった。まだ手積みの卓やマグジャンと呼ばれる半自動卓も設置されていた。1時間あたりの料金は手積み<半自動卓<全自動卓であった。全自動麻雀卓は1時間あたり2000円くらいが標準的だった。30年後の現在のほうが安い。店内にどちらの麻雀卓もある店では、夕方からのサラリーマン達はこぞって全自動麻雀卓を選んだ。景気が良く、値段には拘らない時代だった。

当時の麻雀卓はいくつかあり、そのうちの特徴的だったものをあげてみる。


・マグジャン
手積みではあるが、台のボタンを押すとラシャの下に磁力が発生。手積みの際に時間がかかる牌を裏返す作業をしてくれる。積むのはプレイヤーなので半自動卓と呼ばれた。僕はこの卓の麻雀牌の大きさ重さが大好きだった。ツモ牌を卓のヘリに付けた時の感覚も良かった。



・カキヌマ
関西のメーカーだったと思う。卓はコンパクト。枠も薄く、点数表示はない。ドット表示のサイコロが2個横並びにある。サイコロを回している間「テケテケテケ」と音がなる。


・雀豪シリーズ
関東地方でよく見かけた。最初は点数表示はなかったが、のちにセンターに液晶画面がつき点数表示がついた。点棒は、種類ごとに重さが異なる。1万点棒は5千点棒の2倍。つまり、この1万点棒を投げつけられて直撃したらヤバいレベル。


1990年は、点数表示のある麻雀卓は最新式で、点数表示のない麻雀卓もありがたかった時代である。

カウント

当時点数表示がない麻雀卓だと、「カウント」という言葉を客が言うとメンバーが飛んでいく。そして当該の客の点数を数える。同卓者はそれに応じて手を作る。メンバーを呼ぶタイミングはほとんどがオーラス。たまに誰かが飛びかけ。点数を聞いて作った手で逆転しないこともたまにあった。カウントミスだったり、点数授受の間違い。そういう時代だった。


4人打点5のフリー雀荘

4人打点5のフリーは、やっと増え出した頃だ。当時はまだ、マーチャオ、ZOO、ウェルカムなどのチェーン店もなかった。ウェルカムは町田でBE・FREEという店名で1店舗しかなかった。トマト、麻雀専科などがチェーン店としてあった。町田に桜井章一の牌の音ができたのは1991年か1992年。僕が常連として通い働いた横浜のスクウェアも同時期だった。

レートは違うが点10ならさかえ、サンがチェーン店化していた。一番店舗数が多かったのはさかえだった。

大阪で点5だと、麻雀大学、ジャンプ、プレイメイトあたりしかなかった。他の地方もまだ点10以上が主流だった。


点5の客層

まずは当然ながらほとんど男性。女性客は100人に1人か2人くらい。現在のように20代や30代の女性は街中で芸能人とすれ違うレベルくらいに珍しかった。ではどんな人がいたのか?

・紳士
それまで点10以上のフリー慣れしている人たち。点5だからお財布的にも余裕があり若者にも親切だったり大らか。時間潰しにフリー雀荘に来ている。こういう人と仲良くなると、同じタイミングで終わるとご飯に誘ってもらってご馳走してもらえたりする。

・サボリーマン
午前中から昼は、営業のサボリーマンがいないと始まらない。若いサラリーマンが営業の合間に来店。比較的短時間だが打ってアポに向かう。アポを終えてから再度来店ということもある。

・エース
どこの店にも麻雀がうまかったり強いプレイヤーはいる。しかし強いやつに限って性格に難があることが多い。エースと呼ばれるようなプレイヤーは、麻雀の技量で一目を置かれている上に、人格も素晴らしい。だからエースと同卓してトップを取れたら自慢したくなる。新規のお客さんが来店したらエースの卓にいれて「ご新規のお客様なのでよろしくお願いします」と卓内に声をかけておけばあとは大丈夫。ヤマの出し方、点棒の授受、発声などなど全て面倒を見てくれる。店に1人はいて欲しいプレイヤー。

・大学生
当時の大学はモラトリアムの期間を楽しむ場所。遊園地みたいなもんだった。仲間内のセットで勝ち組の大学生が腕試しにやってくる。ほとんどは井の中の蛙であることを思い知らされる。しかし、稀に凄いヤツがいる。大学生は玉石混交だ。そこから麻雀プロというルートは今も昔も変わらない。

・イキリ兄ちゃん
とにかく常連面したがる。メンバーなんかに友達のように接してくる。自身の麻雀は上手くて強いと自己評価が高いから、アガリ牌が5対1とかのリーチ負けをしたら、相手に「ついてるね」なんて平気で言う。牌遊びを四六時中していたり、打牌が強かったり、ツモ牌を叩きつけたりと、気持ちの弱さが残念な態度として現れる。メンバーからは鬱陶しがられるが、同卓時の期待値から美味しいプレイヤーと認知される。

他にもいたが、現在とあんまり変わらないかもしれない。


点5のルール

実は天鳳や雀魂のルールに酷似している。雀魂は天鳳へのオマージュなのでほとんど同じ。天鳳のルールを作った角田社長は当時のフリー雀荘によく通われでいたのではないだろうか?では当時のオーソドックスな点5ルールとは。

・聴牌連荘
・赤ドラは5に各1枚ずつ
・25000点持ち30000点返しのトビ終了
・ウマは1万点、2万点
・ありあり
・一発、裏ドラあり
・30符4ハン、60符3ハンの切り上げなし
・Wロンなしの頭ハネ(天鳳はWロンあり)

非常に似ている。最近のインフレルールとは似て非なるもの。まったりと楽しめるものであった。


最後に

1990年当時の4人打フリー雀荘は大変賑わっていた。それは景気が良かったタイミングで、低レートの点5が市民権を得たため、店舗数が増えたことに起因する。フリー雀荘は色々な人種が集まる場所。これからもずっとあって欲しいと願う。


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