理解できないこと、理解されないことが人生を喰い散らかす前に ブッツァーティ「コロンブレ」③
ブッツァーティ『神を見た犬』光文社古典新訳文庫
この鮫は中学校の男子女子か
前回、コロンブレが使者として選ばれた2つの可能性を挙げた。
1.人喰い鮫であることの罪滅ぼしのために、海の王はあえてコロンブレを使者に指名した。
コロンブレは別の生物で、美女と野獣の王子のように、ある罪のせいで、人喰い鮫にかえられたという可能性もある。使者の役目を果たすことで、もとの姿に戻れる約束なのかもしれない。
そう考えると、半世紀、コロンブレが待ち続けたのは不可解だ。束縛から開放されたいなら、もっと積極果敢に、ステファノにアプローチしてもよい。最終対決の場面を除いて、コロンブレはステファノから常に一定の距離を置いている。
防波堤から二、三百メートルほど離れた沖合いで、忌まわしいサカナがゆったりと浮かんだり沈んだりしていた。
コロンブレからステファノに近づいてはならないという制約があったのだろうか。いや、あったとすれば、なおさら、暴れん坊のコロンブレは、その禁を破ってでもステファノに接近を試みたのではないか。
コロンブレは近づけなかったのではなく、近づかなかった。まるで、中学生の男子女子が、片思いの異性を遠くから見守るしかないように。コロンブレは懸想する異性にチョコを渡せず終わるピュアな鮫だ。しかもそれを思春期の束の間ではなく、一生涯かけてやっている。
辛抱強さだけで、誤解は晴らせない
1.でないとなると、消去法で、2.コロンブレは使者であり、もともと人喰い鮫ではなかった。人々が人喰い鮫だと恐れるばかりに、使者としてのコロンブレの活動に大きな弊害が生まれていた。となるだろうか。
コロンブレは周囲から恐れられているが、みだりにステファノに近づかない用心深さや、ステファノを諄々と諭す理知を持っている。コロンブレはその野牛に似た風貌のために、周囲に誤解されているのではないか。そのことをコロンブレ自身も認識している。だからこそ、みだりにステファノに近づかなかったのか。
いずれにせよ、コロンブレは懸想する異性にチョコを渡せず終わるピュアな鮫だ。
その純粋さのために、半世紀も頼まれ仕事を完遂できなかったのか。
あまりにも、人生の空費じゃないか。
辛抱強さは認めるが、自分から誤解を晴らすための行動をしてもよかったのではないか。ようやくステファノに対峙できたとき、コロンブレは哀願する。
ずいぶん長いこと、おまえを追いかけまわしたもんだ。わしもすっかり疲れはてたよ。おかげで、どれだけ泳がされたことか。
ステファノは、コロンブレの正体が何かわからなかったから人生の過半を無駄にした。
コロンブレは、ステファノに自分が何であるかわかってもらえなかったから果てしない疲弊を覚えた。
ここに、二人の主人公の対照と類似とがある。
日々の生活は、理解されずに流れていく
では、この一人の男と一匹の鮫の暗喩するところは何なのか。
完全な理解をすることも、されることも難しい。だから、人は不必要なまでに恐れ、不必要なまでに現状のままで待機してしまう。それゆえに、生活は、人生はあっという間に空費されてしまう。不十分な理解が、人の限られた時間を食い散らかしていく。
自分が理解できないことと、自分が理解されないことは、常に裏表の関係にある。
ステファノとコロンブレがようやく邂逅を果たしたとき、コロンブレは海の王から授かっていた《海の真珠》を渡す。
それを持つものは、幸運、名声、愛、心の平穏がすべて約束されると言い伝えられている。だが、もはや遅すぎた。
だが、もはや遅すぎた。それが人生であり、生活でもある。宴のあとの食べかすの散逸したテーブルの光景が、私の目には浮かんだ。おいしいところは、すべて無理解が食い尽くしていってしまったのだ。
コロンブレは海の底に姿を消し、ステファノは白骨化した亡骸となって沖にたどりつく。指の骨のあいだには、小さな丸い石が、大事そうに握りしめられていた。
小さな丸い石? すべては、夢と消えたということなのだろうか?
(続く)