納期を守らない鮫 ブッツァーティ「コロンブレ」②

ブッツァーティ『神を見た犬』光文社古典新訳文庫

職務怠慢の鮫

 前回、ステファノが生涯恐れ続けてきた鮫コロンブレは、実は海の王からあるものを渡すように命じられてきたことがわかった。
 ステファノが十二歳の頃から、死期を悟る老齢期まで、半世紀近くは時間が経過していると考えていいだろう。
 その間、頼まれた仕事を完遂できないというのは、いかに野牛のような顔をした鮫とはいえ、職務怠慢ではないだろうか。
 もちろん、半世紀という年月を悠久に感じるのは、人間だけであって、海の王や、その使いであるコロンブレにとっては、山手線を一本待つくらいの時間でしかないのかもしれない。
 コロンブレを擁護する側に立てば、こうも言える。渡される側のステファノがコロンブレを拒絶し続けるのがいけないんだ、と。それはそのとおりで、居留守を使われ続けたら、宅配員はプレゼントを届けることができない。

海の王はなぜコロンブレを使者に指名したか

 この問題について考えた場合、やはり従業員であるコロンブレという鮫だけでなく、その上長あるいは雇用主である海の王の責任も考えなければならない。
 もし、海の王が本当に大切なものをステファノに渡す必要があったとすれば、もっと他に適した人材(魚材)、適した方法があったのではないか
 コロンブレは人喰い鮫として恐れられていたのだから。

 いや、待てよ。

コロンブレは本当に人喰い鮫だったのだろうか?

 確証はない。コロンブレは伝説上のサカナなのだから。

 奇怪なことに、あいつの姿を見ることができるのは、餌食として選ばれた本人と、その血を分けた家族だけなんだ

 以上はステファノの父の言葉だ。犠牲となった本人以外に、血を分けた家族もコロンブレの姿を見ることができるのならば、コロンブレの姿を見たことがある人はいるはずで、そこにコロンブレ伝説の多少の信憑性が担保されている。

 が、その父の知識すら伝聞にすぎず、コロンブレ伝説が本当に正しいのか、ということは実のところ、読者には判断つかない。

 この掌編の最終段落で、筆者は、ステファノの物語から距離を置いて、コロンブレの実在可能性についてこうまとめている。

 だが不思議なことに、科学者は、誰もがその存在を無視するばかりか、なかには、存在するわけがないと主張する者もいる。

 この突き放しによって、ステファノの一生というものもまた、筆者が拾った一つの伝聞にすぎないことがほのめかされる。コロンブレを調査する作者は、ステファノと同時代、同空間にいたわけではない。
 たまたまどこかでステファノという人がいたらしいという話を聞いたにすぎない。(同本に収録された短編「戦艦《死》」も同じような伝聞形式をとっている)

 だから、コロンブレが本当に存在したとして、コロンブレが人を食っていたかどうか、というのはわからない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 となると、海の王がステファノへの使者としてコロンブレを指名したのは、大きく2つの可能性があると考えられる。

1.人喰い鮫であることの罪滅ぼしのために、海の王はあえてコロンブレを使者に指名した。

2.コロンブレは使者であり、もともと人喰い鮫ではなかった。人々が人喰い鮫だと恐れるばかりに、使者としてのコロンブレの活動に大きな弊害が生まれていた。

 一体、コロンブレは本当に人喰い鮫だめだったのか、誤解を受けやすい強面の使者だったのか。

 ちなみに、「人食いザメ」というのは実際には存在しないらしい(と主張する人もいるらしい)。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55713

(続く)