小心者育児休暇日誌~取得編②~

前回

 7月、つまり妻の出産予定日まで2ヶ月を切った段階での異動を、ポジティブには受け止めきれないが、仕方ないか、というのが実感だった。
 私の職場はジョブローテーションが結構早いほうだし、異動になる先の部署もブラックな部署ではないし、逆にこのタイミングで移って、あと数年は動かないほうが楽だよなあ、と中ボスに慰められたりもした。(私自身がそこまで割り切れたわけではない)
 家庭の面で言えば、妻がつわりで苦しんでいた時期に異動になったほうが、負担が大きかったかもしれない、とも思う。

 ただ、自分自身が妊婦だったら異動はなかっただろうなとも思う。私に限ったことではなく、子供がうまれて十日もたたずに異動した先輩(男性)もいて、もちろん、これは理想にすぎないというか、単なる愚痴になるけれど、出産・子育てというのを妊婦さんという「点」ではなく、夫婦なり家族という「面」で支えられると、いいなあと思う。(もっともこれは、出産を控えた夫婦だけでなく、もっと色んなひとたちにも敷衍されるのが理想だ。その理想のためには、ひとびとの集まりである「会社」をどう支えるか、あるいは「社会」をどう支えるか、という話になってしまうだろう)

 ともかく私は異動することになった。
 大ボスの話を訊く限り、断れる感じでなかったし、本当かどうかしらんが、大ボスは人事に「育休をとる予定もあるし、この時期の異動は」とかけあってくれたそうだ。

 で、新しい部署の新・中ボスに、挨拶の電話を入れた。もうここは、先手を打つしかないと思って、新・中ボスに「育休とりたいです。すみません」と伝える。電話口から漂ってくる、相手の困惑。しかしながら、そこは押し通した。

 その電話をきいていた現・大ボスが「謝ることじゃないよ。1年くらいとりたいって言っちゃいないよ」と言ってくれた。ありがたいが、自分の部署のことじゃないと、口調もなめらかだなあとも思った。

 新・中ボスは、正直面食らっただろうが、わかりましたと言ってくれた。新部署の新・大ボスにも伝えてくれたらしい。

 が、やっぱり、不安は残った。この不安を言語化するのは難しいのだけれども、、、、

 7月に異動した。
 慣れない人たちに囲まれ、慣れない仕事をする、というのは、小心者で人見知りな私にとってかなりなプレッシャーだ。
 その上、1ヶ月半後には子供が生まれて、バタバタし、2ヶ月後には育休に入って、ブランクが入るというのは、自分の経験値が一旦リセットされることだから、そこに対する不安というのは、正直ある。

 それに加えて、まわりの人にかける負担というのも気になる。
 前部署のほうが、お互いに助け合える雰囲気が醸成されていた(ように思うし)、同年代の人が多く、育休にも理解があった(ように思う)。
 何しろ、異動してきたばかりで、仕事のパフォーマンス量も多くないやつが、仕事を覚えきる前に育休に入る、というのは周りからしたら、あまりよく思われないのではないか。という被害妄想を、小心者のわたしはどうしても抱いてしまう。

 加えて、間が悪いなと思ったのは、私が異動したポスト、実は前任者が4月から産休・育休のためお休みに入っていて、1人欠員が出ていたところ、ようやく7月に私が補強されて、その補強された私が2ヶ月後にはまた1ヶ月休むことになる。

 ポジティブに、6月まで1人減でやってこられたんだから、また抜けても大丈夫でしょ!と思えればいいし、思ったほうがいいかもしれないのだが、
 どうしても、「間が悪いみたいで、すごい申し訳ないなあ」という気持になってしまう。

 という、漠然たる不安、漠然たる申し訳無さを抱えながら、3日間働き、正直金曜日の夜はクタクタだった。
 前部署の時は、それほど感じなかった「金曜日の夜がやってきた喜び」を久々に実感した。
 そして、金曜日の夜と、土曜日の午前中から夕方にかけては、本当に、憂鬱だった。

 理屈ではわかっている。職場に迷惑をかけることより、家族のほうが大事だ。今の世の中の情勢や、実家との距離感などを考えれば、やはり最初の1ヶ月だけでも育休をとったほうが、こんな私でも少しでも妻や生まれてくる子供のためになれるに決まっている。そして、自分にとってもいいに決まっている。

 ここで悩んでいるのは小心者というよりも、いいかっこしいな部分が大きいのかもしれない。家族によく思われたいが、職場でもよく思われたい。そういう自我が邪魔をしている部分はあると思う。

 土曜日、忘れ物があって職場に行ったのだけれども、職場に入った途端に、吐き気がした。ものすごい拒否反応を身体が示した。(この数日、食欲も細っていた)

 それで、職場から帰って、菓子を食べながら、あまりに私が深刻になってしまっていたので、妻に励まされ、私は臨界点を突破した。
 どう考えても、妻のほうが不安が大きいだろうし、その上、ひとつ屋根の下に暮らす人間がめちゃくちゃ落ち込んでいるというのは相当、嫌な状況だっただろうに、そこで寛大な態度で接してくれた妻には感謝しかない。本当に、ありがたい存在だ。

 一度臨界点を突破してしまうと、わりと開き直れた。土曜日の夜は、すんなり眠れて、今日、日曜日は、「また明日から仕事かあ」という気持ももちろんあるが、どうせ仕事するんだから楽しんでしようと思えるようになった。
 この気持が明日の朝まで持続されるかわからないが、まあ、とにかく今はちょっとだけいい。