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狭い世界

 年始の休みの1週間で、実家に帰省した。
 今年は、普段全く揃わない一家が3年ぶりに集結した。
 家族仲が悪いから、全然揃わないわけではなく、それぞれの住処が遠いし、予定合わないし、一人はそもそも都道府県が違うし、なんか今年から海外転勤とか言ってるから揃わないのです。

 うちの家族は、けっこうお互いよく話す家族だと思う。
 その内容も政治、経済、事件からお互いの良いとこ悪いとこについてまでよく話し、議論する。
 まあ、最近は、両親がテレビやネットの受け売り的なことを言うこともあるけれど、それでも経験に裏打ちされた意見を出してくれるときもある。
 そして、我が兄弟は、知識欲があって凝り性だ。
 そんな凝り性の兄弟がここ1年くらい英語を勉強していて、実家帰省中もオンライン英会話で勉強していた。 
 そんな光景を見た直後、職場の同期がアメリカから来た観光客と仲良くなったという話を聞いて、自分の世界は狭いんだなと思った。

 私も日本の法律という分野については、知識欲があって、凝り性な部分がある。
 日本という国で生きていく上で、法律というのはいいモノサシになるなと思って、勉強してきたし、これからもそう思ってる。
 でも、それは、国内だけの話な上に、法律は社会が変わってから合わせて変わるものだから、社会が変わってもしばらくは使い慣れた古いモノサシで判断することになる。
 自分の判断が古い考えを基準にして、「でも、現状法律がこうなんだから、こうするしかなくない?」みたいに狭く凝り固まってしまう気がする。
 それに、法律は「正解」を出すのに便利なものでもある。
 「正解」って、自分の人間性を変に見られないし、責めることができないから、自己防衛としては良いものなんだけど、それは時に議論の本質や意味を失わせるものだと思う。
 議論の本質や意味って、自分の考えの正当性や不当性を確かめること、他者から新しい視点を得ること、新しい視点で自分の考えを改善することだと思う。
 自分一人では得られない。
 だからこそ、普段から他者(他の職種の人、他国の人)ともっと関わらないといけないなと思った正月休みでありました。

あ、漫画読むのも新しい知見を得られそう
詰んでる漫画読も