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メシってこんなにうまかったのか…

味の良し悪しわかるけどメシ興味ない勢、私の同類に向けて。
食に興味のなかった私には当たり前じゃなかった「うまいメシの食べ方」について書きました。

メシ興味ない勢の方、こういう食べ方してません?

・一品ずつ順番に片づけるように食べる
・ごはんが最後に残る

いわゆる「三角食べができない」とか言われるやつですね。
あと、こういうのも実は気になってるとかありませんか。

・みそ汁っていつ飲むの?
・冷奴って真っ先に食わん?
・ビール何が美味いの?

食べ方を習ったことあります?自分は覚えがなくて。あるとき、「こいつの食べ方を倣うとメシがうまい」と気づいてから、私は食べ方を気にするようになりました。きっかけとなった最初の感動は「餃子+ビール」です。私は食の師匠に「餃子とビールは4回味わえる」と教わりました。

(1)餃子を噛んで味わう、まだ何も飲み込まない
(2)ほぐれた餃子を口の中に入れたまま、ビールを口に入れる
(3)肉汁が合わさった口の中のビールを飲む
(4)ビールの味が染みた口の中の餃子を食べる

たしかこんな感じ。それまでの私は「餃子」は単体で食べていたし、ビールも「一口目ののど越ししかうまくねえ」と思っていたが、「餃子+ビール」で4回味わう方法を知ってしまったら止まらなくなった。

私は冷奴が好きなんですが、好きゆえに真っ先に食べちゃうんですよ。和食とかチョコンと冷奴あったりするとペロリと片付けてしまっていた。しかし食の師匠は「舌のリセット」に冷奴を使っていた。舌がリセットされると、味に高低差が生まれる。人は高低差の波で感動する。これで白米や薄味の副菜の活かし方を初めて私は知りました。味の濃い焼肉を食べてからの白米が最高とかそういう感じ。

(1)味の濃い食べ物Aを食べる
(2)舌のリセット
(3)味の濃い食べ物Bを食べる

つまりこういう食べた方をするのに冷奴が使えるというわけですね。これをすると何が良いかというと、味の濃い食べ物AとBの味がそれぞれ味わえる。もし続けて食べてしまうと味が混ざる。混ざるとうまい場合もあるが、実はリセットされてから食べた方がうまいものもある。要するに「食べ合わせの相性を考えると真にうまい」というわけです。「餃子+ビール」では足し算のうまさが発揮されたわけですが、引き算のうまさというのも存在します。そんなこと、私は知らなかったので「定食より丼の方がてっとり早いよ」と考えてましたし、食べ方の順番も「食べたい順」とか「並んでる順」とか、めっちゃてきとうに食べてました。甘いもの→塩辛いものは無限ループできるぜヒャッハー!とかはわかってたんですけどね。味の濃いもの→味の薄いもののループは気付いていなかった。そういえば寿司を食うときは強制的に食べる順番を考えさせられるので、味の高低差とか盛り上がりの演出とか、勝手に脳内でこだわっていたような…しかしどの食事でも同じことがいえたなんて目からウロコ…という感じでした。さっぱりした一品料理を挟むことで味の高低差がうまれることを知り「メシってこんなにうまかったのか…」と私は感動しました。

あと冷奴といえば備え付けの袋の醤油とかしょうがとかって全部使っちゃうんですよね、だってあるんだもんという理由で。しかし食の師匠は何を食うにも「味変」をするんですわ。当たり前ですけど薄味が好きな人や濃口が好きな人がいるわけで、その人たちの好みの幅に対応できる量が、「備え付け」の中身なんですよね。だから全部入れたら濃口マックス想定になるわけだけど、自分の好みが濃口マックスとは限らないんですよ。なのに私はいつでもマックスぶちこんでいた。これって食だけの話じゃなくて、全部全力でやっとけばマックス楽しめるという感覚はけっこうヤバいなと思って。いきすぎたバカになって細かい良さとかわからなくなってレンジの調節が利かない「わからないやつ」になっちゃうじゃん…ってね。口うるさいグルメになるのは神経使いそうで嫌だけど、物事がわからない感じられないというのは私にとって損な生き方にも思えたので、直そうというきっかけになりました。少なくとも性格は変わらないけど、選択肢が増えた。選択肢が増えると楽しみ方も増えて人生が豊かになった

「味変」といえばラーメン。ラーメン屋には「味変」をするための調味料がたくさん置いてあることが多い。なぜかラーメン通ぶりたかった時期が自分にもあって、白ゴマやコショウや酢など「自分の定番」みたいな「味変」を最初の一口を食べる前からするようなこともありました。しかし食の師匠は。味に飽きては味を変えるということを繰り返し、途中でにんにくを入れて味を濃くしたり、最後に酢を入れて味をさっぱりさせたりと、意味のある自由自在な「味変」をしていた。つまり自分の思い通りに味変をしていた。通ぶって意味のない「ぼくのかんがえたさいきょうの味変」など考えていた自分が恥ずかしい…。そして「味変」を「これにはこう」みたいな決まったものである必要はなく、「自分は今こういう味を楽しみたいな」という気分に合わせて変えるものと、私は考えるようになりました。メシの選び方など完全に気の迷いで選んでいたので自分には革命的でした。

メシの選び方について、私は「ラーメンが食べたいからラーメン」みたいな選び方をしがちです。その結果「そんなにラーメンの気分じゃなかった」となっていたり、逆に「ラーメンと思ってなかったけどラーメンだったな」となっていたり、ほぼバクチのような選び方をしていました。食の師匠のメシの選び方は一見面倒だ。「今は胃に重いものをいれたくないな」とか言う。私は「ラーメンが食べたい(気がするから)ラーメン屋に行きたい」と短絡的なので店選びはすぐに済む。胃の調子とか考えてない。が、実はラーメンの気分じゃなかったりするからメニュー選びが遅い。食の師匠は店選びには時間をかけるがメニューはすぐに決める。脳の錯覚が起こした気分ではなく体調などから食べたいものを分析し終わったあとなので選ぶのが早い。早いといえば私は早食いしがちだ。みそ汁など最後にごはんを飲み込むためのものという扱いをしてしまうほどだ。

みそ汁は最初に一口飲むのが食の師匠の定番だった。温かい汁物を最初に飲むことで喉が潤い通りがよくなる。あとは消化の効率とか香りで食欲を促進とかあるのだろうけど、自分にとっては最後に残ったごはんを早く食うためのものだったので衝撃的だった。みそ汁にごはんをぶち込むのご法度みたいな文化なくなってほしい。うまいやんけ。人前でやると畜生メシ呼ばわりされる。食に関する行儀が悪いとか縁起が悪いとかしゃらくせえ。とは思っていたのだけど、人の食、人の楽しみの邪魔はご法度なので人前では作法を気にはする。自分は基本的に食べ方が汚いしクチャラーだ。クチャラーといえば、食の師匠に音を立てない咀嚼を教えてもらうまではクチャラーオンリーの食べ方をしていたのでさぞかし一緒にメシを食いたくないと思われていたことだろう。喉の通りの良さと他人への配慮は食の楽しみで重要

以上をふまえても、私の「三角食べができない」「ばっかり食い」のクセはなおらない。人のクセはそう簡単になおらないのだが「三角食べ」とルールで教わるのではなく、そうするとどんなメリットがあるのかという体験があれば変わっていたかもしれない。今は食の師匠の食べ方をマネすることで、食を楽しむことができている。しかし、食の師匠はマネされるのが嫌いなので、「同じモノを頼んで同じ食べ方をするな気持ち悪い」と言われるけど。

ただやっぱり楽しめるものはより楽しみ方を知ったほうが人生豊かだなと思うわけで。ああ、そうだ。次は楽しみ方について書いてみようと思います。

これ読んでメシがうまくなったら教えて。
あと「このメシの食べ方がうまい」とかも教えて。

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