浮き沈み。

最近気持ちの浮き沈みがすごい。自分は幸せだと思うこともあるし、全くついてないなと思うこともある。未来は明るい!とやたら楽観視する時もあるし、将来を絶望視する時もある。なんか調子いいなと一日歌でも歌いたい日もあるし、過去の失敗をずっとウジウジ考えている日もある。なんなん。コロナになってより顕著になった気もするし、前からそうだった気もする。

週2日の出社になったが銀座に来る度にどんどん風景がさびしくなっていく。あぁここも空き店舗になっている。あ、いつもあったでかい看板がなくなってる。おしゃれなカフェは喫煙所になってるし。さびしい。さびしいが別の感情も確実にあって、うまく言えないがワクワク感みたいなものがある。こんなことを言ってはいけないな。ワクワク感ともちょっと違うんだけどね。でも確実に寂しさとか悲しみと対極にある感情が奥底で見え隠れする。これなんなん。

熊谷守一という画家がいて、この人は晩年30年間も自宅の敷地内から出なかったらしいですな。正確には20年らしいけど。それでもすごい。くる日もくる日も庭に出て生物観察。あぁ幸せ。立木とか葉っぱとか、ずっと見てても飽きないもんね。蟻とか。蟻なんか毎日見てるものだからついに蟻は必ず左の2番目の足から歩き始めることを発見したらしい。ほんまかいな。大体蟻が歩き始める瞬間なんか見たことないし。木とか花とか葉っぱとか。ダンゴムシとか。時々来る鳥とか。同じ庭でも一つとして同じ日がない。でも人間が作ったものってどうだい、一旦作ったら埃かぶって朽ちていくだけ。あぁ、朽ちていく美しさというのもあるのかもしれないけどね。

敷石の隙間から絶対生えてくるツメクサをいとおしむ人はほぼ皆無であろう。人工物よ、全部なくなってくれとは言わないし、多分の恩恵を受けていることも知っている。だけどね、立派な敷石より、その隙間から生えてくるツメクサよ。葉っぱが爪みたいだからツメクサ。花が咲きそうで咲かないの。いつもつぼみね。いつか咲いた花をとらえてやる。そう思いながら朝、だれもいない道端にしゃがんでツメクサを見る。それは確実に幸せな瞬間。

朽ちるだけというのはさびしいね。でも朽ちていく代わりに確実に芽生えてきているもの、それが僕をワクワクさせる。いやワクワクとちょっと違うんだけどね(繰り返し)。あぁ、人間以外のもっとすごいもの、見ていきたい。

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