小説「BATTLE OF TOKYO」第1部完結記念☆読書感想文

大災害により崩壊した東京で君が出会うのは……

A「記憶喪失の謎の美少女」
B「瓦礫の山で不思議な歌を歌う美少女」
C「感情をなくした人間兵器の美少女」
D「不思議な力に目覚めた記憶喪失の愛嬌ある年下系関口メンディー(CV:木村昴)」

うーん、どう考えてもメンDにはならんやろ……

!!!!いやなっとるやろがい!!!!

〜BATTLE OF TOKYO〜

近未来、サイバーパンク・ディストピア東京でド派手な異能バトルを繰り広げる45人の男たちを描いた小説BATTLE OF TOKYO(5巻まで刊行中)。
一見すると「キャラカタログ×異能バトル」という昨今のモバイルゲームや漫画、アニメにありがちな作品に見えるが、常識にとらわれない制作プロセスにより前例にない異常物体が爆誕してしまった。

佐藤 これらのスキルは作品テーマともつながっていまして、BOTの根底にはオリジナルと非オリジナル、あるいはアイデンティティとは何かという問いをしのばせています。ダンスミュージックというジャンルがサンプリングを重ねて進化してきたように、Jr. EXILE世代の彼らは先輩たちから強い影響を受けて、憧れから出発して、それゆえに自分たちのオリジナリティを必死に模索しているはず。そんな状況をそのまま設定に組み込んで、アイデンティティを掴みとる戦いの物語にしたら、現実との相乗効果も生まれてすごく面白くなるんじゃないかという予感がします。

https://ddnavi.com/interview/743881/a/

「ファイナルファクトという唯一のオリジナルを皆で求め合う、アイデンティティを掴みとる戦いの物語」というアイデアがBOTの根幹にあることがインタビューやエキシビジョンブックで語られている。なるほどなー。

マルチメディアコンテンツの顔をしたマルチオモロコンテンツのうちのひとつ、シリーズ10万部突破の大人気小説BATTLE OF TOKYO。いろいろ話題は尽きないが、当記事では「45人のJr.EXILEのプロモーション」であるがゆえに「可能性」「トレンド感」が生まれているという話をさせていただきます。「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」



①何もかもを「45人の男性キャラ」でまかなわなければならない

未曾有の大災害から奇跡的な復興を遂げた都市と喧伝される超東京に綻びや影が存在するように、一見すると華々しいスキルを手に入れ新世界に適応したように見える45人も、皮一枚めくったところには過去の後悔、諦め、悲しみが渦巻いている。破壊を描くということは再生(創造)が描かれるわけで、そこにドラマが生まれる。各々の有機的なトラウマの輪郭が、管理社会ディストピアという画一的・無機質な社会で非現実的なバトルを繰り広げている2次元キャラの存在に生々しさを与えている。

傷ついた45人の男たちが出会うのは、同じように傷ついた男たち。さんざんたる世界に放り出された彼らは他者との交流の中に自らの輪郭を探り当て己の生きる道(アイデンティティ)を見つけていく。こういうストーリーはほとんどの大衆作品(特にSFアクション)の場合ボーイミーツガール(=少年と少女が出会い恋愛関係になる話)になりがちなところ、これは「Jr.EXILEのプロモ」なので言うなればボーイミーツボーイによってすべてが語られることとなる。

45人のスキル使いたちは全員男なので、男女混合の異能バトルものであれば女性キャラに割り当てられがちな異能、役割、性格、物語、関係性を全て男が担っている。仮に男女比を均して日本アニメ的テンプレを割り振っていこうとすれば、ゼロはクールな戦闘美少女、パルテは記憶喪失だが人前では明るく振る舞う少女、カラスは自分よりも大きな動物を操る気分屋な幼女、カグラ&ケインは異性の幼馴染コンビ、サルトビは坊ちゃまに仕えるクノイチ(なぜか布面積が少ない…)になっていてもおかしくない(たぶん)。

たとえば手癖で「凍てついたゼロの心を癒した無垢な少女」とかやりたくなるだろうに、自分が人間兵器であることを悩んでいたゼロの葛藤をぶっ飛ばしたのはベイリーとの出会いと対話だった。キャラ数も説明すべき世界観設定もキャラ設定も何もかもが大渋滞しているため尺貧乏キャラ沢山となり、ほとんどの事が男たちの間で完結していく。

5年前のIUSにより全てを失ったケインは二度と同じ悲劇を繰り返すわけにはいかないと、自らの命にかえてもIUSの再来を食い止めようとした。他の者たちもそうだ。ラウディショーグンの面々は力がなかった頃は助けられる人も助けられなかったという悔しさを今も忘れず、力を振り絞って嵐の中で人命救助に尽力する。彼らの心に深く刻まれたトラウマは、過酷な現実に抵抗する力に変わった。

この男は命をかけて、かつての自分を助け出したのだ。そのことを思うと、涙が止まらなかった。カグラはそのまま、人目もはばからず、泣き続けた。暖かく柔らかな風が吹く中、友を抱き締めて。

Vol.4

いろいろな傷のドラマがある中で、興味深いのは、ケインは命をかけて「かつての自分を助け出した」という説明になっているところだ。彼は仲間の協力を得ながら最後には自分で傷ついた自分自身を暗闇から救い出したのだ。カグラはそのことを思うと涙が止まらなかったって、ケインがこれまで辛い想いをしていたことを近くで見ていたカグラだからこその描写なわけじゃんも〜エモいな〜!ついつい月島先生を肘でウリウリしちゃうな〜!(不敬)

ここでは単にトレンドであると言及するのみに止めるが、奇しくも「男性とケア」は昨今注目されているトピックで、何の因果かBOTはそこに小指の第一関節まで指を突っ込んでいると感じる。突然ですがここで小説BOTの中で目立っている関係性(関係値とも言う)を紹介させていただきます。

・チャッター&マサト
性格は反対だが不思議と気が合う親友の二人は、IUSの襲来と共に同じコピーというスキルに目覚める。チャッターはスキルで家族を守ることができたが、マサトは力及ばず家族全員を失った。そうなると気まずくて顔を合わせることが減っていきそうなものだが、チャッターは側で親友を支えつづけた。IUS発生から1年が過ぎた頃、決意を固めたマサトは親友にスキルやIUSの謎を解き明かすため協力してくれないかと頼む。危険な道だが、チャッターはそれを二つ返事で受け入れた。年相応に気楽な日常を過ごしていたはずの二人は今や怪盗団のメンバーとなり命がけで戦っている。どこまでも非対称性な二人は互いに支え合い、天変地異によってもたらされた新しい人生を運命に翻弄されながらも生き抜いていく。

・X&フローリー
移民のため市民IDを持てず、裏社会で運び屋を稼業にするフローリー。彼は「一人で生きて一人で死ぬ」をモットーに、お互いに自立して生きていくことを姉と誓い合った。荒野を独り往く彼は、ある日仕事で組んだことのあるXからとある依頼を受ける。その依頼とは、祖父の敵討ちのために不殺の誓いを破りギャングたちを殺したXを区外へ逃がすというものだった。フローリーにとってXは、裏家業の世界に身を置いてから初めてできた友達だ。二人は今となっては池袋で出会った他のハッカー仲間たちと楽しくつるんでいるが、いつあのときのギャングが報復しに来るとも知れない。フローリーは終わらない過去からの逃避行を続けつつ、傍にいるこんなにも優しい男が銃を持たなければならない世界を憂いている。

・ケイン&カグラ
IUSにより孤児となった二人は、他の仲間たち同様アストロパークのサーカス団団長に保護され、共同生活を送りながらスキルとサーカスの技術を磨いてきた。作中ではケインが無鉄砲な熱血男のカグラを心配してストッパーになるシーンが何度も描かれている。でも、いざというときは一蓮托生だと考えているようだ。

「その時はしょうがないさ。二人で潔くクビになって、どこかの街で大道芸人でもやろう」そう言うケインの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。性格は柔和だが、めったに笑うことはない彼の笑顔。それを見るとカグラの張り詰めた心が、すぅっと和らいだ。「はッ……物好きな野郎だ」カグラもそう呟き、傍らの友に手を差し出す。ケインはそれを握り返す。

Vol.3

・クロード&ユキ
元暗殺者のユキは、彼の犯した罪は消える事はなく、それを償う道は残りの人生全てを使って1人でも多くの人を救い、果てはこの世界さえも救う事だと考えている。初めて出会ったときは手負いのオオカミのようだったというクロードとユキはいつしか互いに心を開き、相棒と呼べる関係になっていた。クロードはブルーシールドに殺された父の敵討ちのために全てをかけてきた男だ。ついにその復讐が果たされたあと、人生の目的を失って呆然とする彼を救ってくれたのは傍にいるユキの存在であった。

「おら、悟った顔してんじゃねぇ。やりてぇこともやらなきゃいけないことも、いっぱいあんだろ?」 クロードの体を支えていたのは、ユキだった。

Vol.5

小説BOTはスキルや武器、格闘技を駆使したバリエーション豊かな戦闘シーンが特徴的な作品だが、それだけでなく男たちが互いにいたわりあう姿も目立つ。絶滅の危機に瀕した人類は共感力を進化させたとでもいうのか。なんというか、他人の痛みへの感度の高さを感じる。BOTはそういうSFでもあるのかもしれない。(BGM:こんな世界を愛するため)

ちなみに、こういう、昔ながらの旨味のあるライバル関係もある。

・ゴエモンとフォース

「……変わったもんやな、アニさん。昔のアンタならこんな提案、秒で突っぱねたもんやけど」「時は人を変えるもんや。俺も刀振り回すだけのガキから、大人になったっちゅーわけよ。まぁリーダーにもそろそろ、大人になって欲しいんやけどな」

Vol.5

兄弟子のゴエモンを越えたいという一心で、道を外れてまでその強さに磨きをかける男フォース。ゴエモンが「忘己利他」をモットーとし用心棒として生きる道を歩く一方、フォースは未だ過去に囚われているようだ。しかし一方でゴエモンの心には強敵と剣を交える喜びが確かに存在していることも描写される。関西弁で軽快なやりとりを繰り広げるゴエモンとフォースの言語とは、ノリのいい関西弁ジョークを織り交ぜたその上っ面の言葉ではない。斬り合いこそが彼らの言語、斬り合いの中だけに真実があるとでもいうのか。最後に立っているのはひとりだけなのか。そんなネギマヨモリモリ焼きたてたこ焼きのよーな激ハフすぎる関係値、今後どのような終着を迎えるのか見ものである執着だけに。

休む間もなくわんこそばのように繰り出される「シェフのきまぐれこれ絶対うまいやつ」としてものすごい喉越しの良さで流動食の如く胃に流し込まれていく味わい深いはずの関係値。果てはサイボーグからライオンに育てられた男まで合計45人もの男がいるという異様な控えの層の厚さとさまざまなシチュエーションを可能にするSF設定により、BOTは昔ながらの関係値やついつい手癖で異性間で描きそうになる関係値を掘り下げる実験場として最適だ。

②45人全員がかっこよくなければならない

いまどきのEXILE系グループは世間が思う以上に多種多様。Jr.EXILEのメンバーがそれぞれの思うかっこよさを仮託した45人のキャラクターがそれぞれのかっこよさを発揮する作品にはトレンド感がある。超TOKYOのBATTLEは戦いの末に序列が作られる、たったひとりの勝者のみが総取りするBATTLEではない。ひとつの正解を押し付けてくる管理社会ディストピアに抵抗する筋書きだから、戦闘に勝ち負けは発生すれど、「みんな違ってみんなかっこいい」に収束する。

かつて自分が戦闘を生業にしていた頃、敵とわかりあう事は有り得なかった。勝者は生き、敗者は死ぬ。それが戦場の理だったからだ。 だがここにいるスキル使いたちは、幾度となく衝突を繰り返しつつも、誰もが他者を殺める事はなかった。偶然にしてもその事が、今回の共闘と勝利につながったのだ。

Vol.5

「市民ID」を与えられた人間のみが行政から生存を保証される超東京。イヌイは自分の理想に適合する人間だけを生かした新世界を作ろうと目論む。そんな社会に抵抗するということは、「他者が押し付けてくる自分のあるべき姿に抵抗する」ということでもある。LDH的に解釈すれば、EXILE(先輩)、ヤンキー(H&L)、王子(PoL)などの枠組みにとらわれることなく、それらを否定することもなく、全部ひっくるめて肯定したうえで自分のなりたい姿を模索する、といったところか。

たとえば、ラウディショーグン情報班のジョーは「気配り」をするキャラだ。彼は報告書の執筆は苦手だとゴネるミーヤに適材適所だからと報告書の代筆を買って出る。休日に緊急の仕事が入れば安アパートで寝ているエイノットを甲斐甲斐しく起こしに来てくれる。荒事担当の人員に比べると戦闘力は劣るが、催眠術系の特殊能力を持っている。そんな彼は「脇キャラ」で「かっこよさはシャーロックに劣る」と公式に規定されたとしたら、それは45人全員を売り込むというコンセプトに反する。この作品は、ジョーのような情報担当かつ他人のサポートが得意なタイプも、前線に出て派手な肉弾戦を繰り広げるベイリーのようなタイプも、全員が平等にかっこいいというスタンスで執筆されている(尺の都合で、現時点では出番が少ないキャラはいるが)。例えば、ラウディショーグンの捜査パートでグスク、ミーヤ、キサラギが見せる活躍には派手なアクションシーンに劣らない輝きがある。

先に声優がついていたりスピンオフ作品の主役になったりするキャラクターは大人の事情で決まってしまっているが、今後幅広い層の目に触れた際、アーティスト人気とキャラクター人気は必ずしも一致しないと考えられるのもこのBOTが持つ可能性のひとつだ。二次元に来る事で、三次元ではある程度固定化している価値観を離れ、確変を起こすことができるだろう。

③ 恋愛感情をエネルギーにできない

45人は実在のアーティストの超東京での姿ということなので、おいそれと男と男もしくは女との「恋愛」でストーリーを牽引できないところにトレンド感がある。いや、PSYCHIC FEVERがBOTには闇の武器商人という悪役チームとして登場したことに驚かされたように、きっとこういう展開は無理だろうと読者が思い込んでいるだけでやろうと思えばやれるのかもしれない、が、少なくとも小説第一部にはその展開が存在しなかった。

ケインはIUSで家族や友人だけでなく恋人を亡くしているという設定がある。彼は身を挺してIUSを止めようとするが彼に力を与えるのは恋愛感情ではない。恋人について特別に想いを吐露するようなシーンはなかった。第5巻のクライマックス、自らを犠牲にしてこの世界を救ったシャーロックの行動原理にも恋愛感情はいっさい介在していない。

何も超東京では女性が絶滅しているわけではない。しかしマキナ・リコ・マダム・リヴィアという女性キャラクターたちはスキル使いではないし、今後も彼女たちとキャラクターの間に深い交流が生まれる可能性は低いと予測する。マキナとリコは極力超東京の案内人かつ物語の見届け人としての役割に徹しており、マダム(スポンサーという立ち位置、親近感がある)とフローリーの姉のリヴィアはそれぞれディストピアをたくましく生きる自立した女性キャラとなっており、読者にストレスを与えにくいキャラ造形といえる。

昨今、従来のジェンダー観のテンプレを再考するドラマが民放で放送され話題性を獲得している。そのため偶然にもBOTの作り出した「45人のスキル使いが全員男でその45人の関係性を主軸に物語が進行する。かつ、メインキャラがドラマを動かしていくほどの強度の恋愛感情を持つことはない」という状態は偶然にも若干のトレンド感が出ているように思える。

恋愛感情といえば、序盤、スキートがモブ女性キャラに結婚願望を刺激される何てことないコメディシーンがある。それは後半、彼の持っている結婚願望とは「不幸な境遇のため裏社会を生きるしかない彼の見ているほとんど実現可能性のない幸福像を投影した蜃気楼」みたいなものであり、そんな夢を見続けることにより彼はかろうじてこのクソみたいな社会でマトモでいられたのだということが明かされる。なかなか予想外の着地だった。

④BOTとLDH 虚構と現実

作中では、ラウディショーグンが行政に見捨てられた被災者を助けていたり、小規模のIUSで被害を受けた人々にハジメが炊き出しを行っていたり、全てのチームが協力して避難誘導や人命救助を行なったりしている。さらに、災害の再来を食い止める展開が4巻にあり、5巻でイヌイを倒した後は彼が発生させたIUSを止めることが最終目的となる。ここ数年は特にアーティストが非常時におけるエンタメの物理的な無力さを痛感する状況だったと思うが、BOTの世界では、EXILEが本当に世界を救う。だが作中の人助けも現実にLDHが行っているさまざまな活動を拡張したものとも考えられ何もかもが虚構というわけではない。2011年の東日本大震災以来の災害とLDHの関係性も、BOTの中に滲み出ているのかもしれない。

また、現実にアーティストが地方創生を担っているところも作中に滲み出ている。本人の方言を再現しているキャラクターが登場するので、通常のキャラカタログ系の作品ならば「大阪弁キャラをひとり、外国籍のキャラをひとり」となりそうなところ、関西弁キャラは複数人登場するし岡山弁のキャラもいる。BOT世界の日本で急速な復興を遂げたのは東京のみで、それ以外は行政による復興がなされず放置されているようだが、岡山弁のマルドゥクがいるのでこの世界にもたしかに岡山県が存在しているらしいということがわかる。キャラクターたちはその土地の言葉やその地方に伝わる格闘技や武器を受け継いでおり、失われた故郷の風土を暗に伝えている。

もうひとつルーツの話でユニークなのは「キャラの使う格闘技にバリエーションを出したいから、カポエイラの使い手、ブラジル出身のキャラを出そう」とか「中東は戦争のイメージがあるから、武器商人のチームは中東から来たことにしよう」とかいう作りになっていないところだ。LDHフィクションだからそうなっているとしか言いようがない事象が発生しまくる。闇の武器商人はなんでか「超バンコク」から超東京にやってくるし、サイボーグのマリクが韓国とモロッコの血を引いているという描写があるのはただWEESAがそうだからそうなだけである。別に韓国とモロッコの血を引いていることで彼にルーツに基づいたステレオタイプなキャラが付与されることはない。メンディーはオデ系の寡黙なパワーファイターでも陽気なおもしろ黒人でもない。でもマリクの兵器のイメージは中東=戦争のステレオタイプだったりするのだろうかとわずかに思わないでもないが「最年少、生意気、万能感、最新型最強サイボーグ、トリガーハッピー、チームの火薬庫(武器庫)」みたいな感じで到達可能なキャラなので必ずしもそうでもない気がする。BOTは日本サブカルテンプレのコラージュに見えて、そうでもないところが目立つのでいい意味で目を引く。普通に作ったらそうはならない。この作品のユニークなところだ。

ところで、ヴィーことヴィンス・P(≠JIMMY)(マジでヴィーことヴィンス・Pという名前が異常に刺さってるその中黒はセクシーぼくろ)について「その肌は褐色で、明らかに他国の出身であることが見て取れる」という描写があるのは、これが東京まして今よりも未来の東京の話ということを考えると校閲漏れかな?と思うのだが、

5年前の大嵐以前、この世界の治安は、今よりずっと悪かった。各国の政府は統治力を失い、代わりに企業が力を持ち、自由主義と自己責任のお題目のもと、社会は弱肉強食の様相を強めていた。

IUS後の超東京では外国にルーツがある者は市民IDを取得できないという設定があり、上記のとおり社会に余裕がなくなり治安の悪化した社会では外国人排斥の声が高まっていており、東京はIUS前から日本国籍の者以外には住みにくい都市で、そもそも戦争が起きているので国交が断絶している国もあったりして。鎖国時代なのだと思えば、肌の色で日本以外の出身だと判断されるのもわからんでもないか。とかなんとか、オタクはギアッチョみたいに根掘り葉掘り考えてしまった。

本を読んだり映画を観たりするのは、基本的には娯楽である。受け手にとっては気晴らしであり、送り手にとっては、飯の種。それが繰り返し生産されて消費されていくさまは、まさに「2周目、3周目をやっている」にほかならないが、その中で人の生き方=文明が記録されて、継承されていく。小説も映画=フィクションのひとつひとつは単なる娯楽でも、繰り返しの所業として、社会の強度を高めているという性質がある。だからフィクションは必要なのだ。

https://www.fmworld.net/fmv/special/BRUTUS/think3.html

これはBOT関連ではない佐藤大のインタビューの締めくくりにある文章だが、この中で彼が語る「2周目、3周目」の感覚というのはBOTにも存在する。あちらの地球はIUSなど発生しなくともほとんど滅びかけていた。人間たちが過剰に豊かさを求め続けた結果、人類は存続の危機に瀕する。幸運にも別次元から超技術を与えられてなんとか絶滅を免れた人類だったが、結局その技術を際限ない欲望のために濫用するという間違いを犯し、代償として最初のIUSを発生させてしまう。その後一度は超技術を封印するのだが、それを発掘した者が権力を求め暴走した結果再びIUSが発生する。そのようにして世界は二度三度と同じ過ちを繰り返し続けている。

……その真実を人々に解放した時、このクソみたいな世界は、少しはマシになるのかな?」「それはわからん。だが少なくとも、より良い世界について考える余地はできる。自分たちがどこから来てどこに行くのか、何も知らないまま生きて死ぬだけじゃ、檻の中の猿と同じだろう?」

Vol.5

シャーロックの遺志を継ぎ未来を託された者たちは、混沌の書から歴史を学び持続可能な社会を作っていかなければならない。それはLDHが大切にしている「継承」の要素を含んでいる。IUS発生のたびに歴史が断絶しており「継承」がされていないことから過去の人々は過ちを繰り返してしまった。だからこれがLDHコードに基づき書かれた作品である限り、正しい歴史を継承しシャーロックから遺志を受け継いだ者たちはきっと素晴らしい未来を作っていくことができる。

断末魔

小説BOTはラブドリームハピネスの全てを織り込んだLDH精神を啓蒙する作品に仕上がっている(え、そうなの?)。見事にLDHイズムが落とし込まれておりLDHのバイブルと言っても過言ではない。つまりこういうことだ。20XX年、E×ILE HIR○は混沌とするこの世界に太平をもたらすべく三人のおじに聖典の編纂を命じた。いや、表向きはそういうことになっているが、実際はボーイズグループ戦国時代を勝ち抜くべくLDHの教義をシャバに広めようとつくられたプロパガンダコンテンツがBOTである。中目黒を訪れた際はホテルの部屋の引き出しを開けてみるといい。そこには聖書の代わりに小説BATTLE OF TOKYO全5巻が詰まっている。ホテルを出て街を歩いてみれば、どうみても家族経営のアットホームなお食事処の壁面いっぱいに宗教美術作品が飾られていて(神聖な場所なので当然撮影不可である)、そこにはぶどう酒とパンのごとくレモンサワーと唐揚げカレーラーメンを分け合う人々の姿がある。つまり数百年後のFGOプレイヤーは星5のマイクロビキニ美少女メンDをゲットするため臓器を売るのもやぶさかではないかもしれない、というそういうSF思考をLDHにもたらしたのが小説BOTなのだ。

そう。生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えとは「24」なのである。

それでいてなぜだか不思議と時代に即したトレンド感を持ってもいて、そこには現代を生きているJr.EXILEたちを表現するにふさわしい、オリジナルなドラマを描き出すことのできる広大な世界が広がっている。ジャンルをSFとしたことにより、LDHという存在をSF思考により解体し作品世界の中に再構成することができ、思いもよらない新たな可能性を発見するチャンスも生まれている。

なんてわけわからんこと1万文字も書いておいて何だが、自分でもなんでBOTに対してこんなにマジになっているのかわからない。こういうわけわからんことを考える余地があるところが好きってことだろうな、たぶん。今日は火曜日だ。ということは日付変更とともに次世代型ツッコミインタラクティブウェブトゥーン覚醒のルプスが更新される。今日も今日とて60円くらい払って真顔でボケまくるルプス様にツッコミ入れさせていただきます。


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