舞台ETERNAL2、やべかったな(感想文)

わ゛ーーーっっ!!!!
配信、セミより命が短いとか風流すぎるだろ!!!
はい!!今から「ETERNAL」はセミより上位の夏の季語になりました!!!!!

この作品、本当にいろいろと語りたくなるところがある。

オタクとしてテンションが上がる部分(例:急に指笛練習したくなったり、棒欲しくなったり。誓約団とニクラス部隊が対峙するシーンがRPGの戦闘画面っぽいし。ボスキャラのリーフェン が仲間になったあと、ステータス弱体化せずにちゃんと強キャラなところとか熱い!)

演技にうなる部分(例:ガッファー役の龍ちゃんの殺陣が怖すぎる。デカくて威圧感があるだけでなく、細身の刀を振るう動きは俊敏で、殺しに迷いがなく恐ろしい。これで、千葉県2位なんだよな……千葉県1位ってウサイン・ボルトだったんかな……。

ツッコミたくなる部分(例:お兄ちゃん1年間くらいずっと弟を見守ってたの!?両手に木の枝持って木陰に隠れたり、気づかれそうになったらネコの鳴き真似したりして誤魔化してたの!?

ETERNAL2百物語は夏の風物詩。いくらでも喋りたい。大好きなところがたくさんあるからだ。が、強いていうなら……

「REAL RPG STAGE『ETERNAL2』-荒野に燃ゆる正義-! (ルーク『英雄ヘンドリック像!』くらいの張り感で)この作品の前向きさが大好きだーーー!!」

この前向きさ、ポジティブなエネルギーこそ、この作品が一見邪道に見えるが正統派LDHエンタメである理由のひとつではないだろうか?

まず、キャストに「舞台/演技初挑戦」のメンバーがいるところに熱いドラマがある。
「自分は歌一本」と言っていたRIKUさんは、ETERNALを経て今や舞台やミュージカルの道を開拓している。彼らが、 「自分にできるのか」とか「縁のない話」と思っていたことに真剣に挑戦し、変化して行く姿は、見る者にチャレンジする勇気を与えてくれる。1作目に参加したメンバーの姿に触発され、2作目のメンバーが一歩を踏み出したように。

そして、舞台のストーリーもまた、シリアスな雰囲気をまといながらも非常に前向きであった。登場人物たちは憎しみや悲しみを乗り越え、希望を信じて前に進もうとしている……と言うと、すごくEXILEリリックみがあるぞ!?瞳を閉じればわらわらとEXPGキッズが出てくるMVが見えてきた!異物(という名のダイヤの原石)混入かと思いきやラブもドリームもハピネスも劇中に含まれてた気がするわ成分含有量テストクリアしてから出荷されてんだコレ!!!

……劇場を後にする我々が、少しだけでも作品に心動かされ、勇気を出して前向きな行動を起こしてみようと思えるのであれば、我々こそがこの世界の希望になりうるのではないだろうか。というかそもそも、この世界の希望とは我々ひとりひとりのことを言うのではないか。そういう、小さな希望の光を点々と灯すような温かい作品だった。……と言うと、クサいだろうか。

 「レンブラントが王になりゃ全てうまくいくと思ってた。だがな、そうやって任せきりにしてちゃだめだ。だから考える。どんな国がいいか、どんな国王がいいかって」

逆に言えば、ジーンが言っていたように、この現実は誰かに任せておけばよくなるということはない。だから考える。考え続けなければならない。自分たちが生きているこの社会をどうしていきたいか。そう、この作品には隠しきれない#GoVoteのバイブスがある。若者が政治に無関心、という社会課題に対するメッセージをよりによってLDH製舞台で発信しつつ、エンタメしている。それはお説教というよりも、よりよい未来がありますようにという祈りに近いと思う。んぺ内投票率、どうなのかな。

このあとは、名シーンや名台詞についていくつか、書きたいよ〜〜に書かせていただきます!


【レンブラントの抱擁について】

この作品のピークといえば、レンブラントが剣を置き、ニクラスを抱きしめて「すまない」と繰り返し謝るシーンだろう。

戦場のど真ん中で剣を置いたレンブラントは愚かだ。そして敵を抱きしめるという行動の、ばかばかしさ、理想主義、漫画っぽさ……。これが感動的なシーンとなるか、興冷めになるかが、この作品がこれまで積み上げてきたものの総決算と言える。

戦場のど真ん中で武器も持たずに敵を抱きしめる男の姿は、勇敢に剣を振るう姿とは真逆。その行為のあまりの心もとなさに涙が出た。少年が空想するように、勇ましく、剣ですべてが解決できたらどんなに簡単だろう。
しかし平和を手に入れんとして残虐非道な行為を散々やり尽くした我々人間にはもう、「この手段」しか残されていないのではないだろうか。最後のひとりになるまで殺し合うか、それとも、剣を置いて対話し、謝り、赦し、共に生きる道を選ぶか……。

レンブラントのいない世界では、ディランドの人間とオルドは剣を取り戦って、最後のひとりになるまで殺し合いをつづけることになるかもしれないのだ。
戦争によって生を受け、「種族の垣根」に苦しまされてきたニクラス部隊の面々。ニクラス部隊にも入れなかった、産まれてすぐ殺されてしまった赤ん坊たちと、その母親。家族を殺され貧民街で暮らしていたジーンやクロエのような人々。悲劇をこれ以上繰り返してはいけないということにおいては、ニクラスたちもレンブラントたちも同意見だろう。戦争はもうたくさんだ。

だが、戦いをやめて共に生きる道を探そうと、口では簡単に言えるが実現するのは難しい。容赦なく突きつけられる現実と耳を塞ぎたくなるような言葉は、剣よりも鋭くレンブラントを傷つける。しかしどれだけ傷つこうと、どんな困難があろうと、レンブラントはまっすぐ現実を受け止めて考え、誰も見捨てない理想の国を作るために進み続ける。

レンブラントの持っている本当の「力」とは、王子の権力でも、剣術の腕でもない。目の前の相手に寄り添い、何をすべきか考え続け、自ら実行していく力だ。迷い傷つきながらも、最善の未来を求めて進んでいく勇敢な姿に、人々は心動かされ、勇気付けられる。
そしてそんな彼の元には、あらゆる「違い」をこえて、たくさんの仲間たちが集まってくる。果たして、彼らは三世代にわたる憎しみの連鎖に終止符を打つことができるのだろうか。

【ニクラスのキャラ造形が良すぎた】

内面もビジュアルも、ニクラスは今回のボス格として良すぎた。
色白で小柄、本人の聡明な雰囲気のおかげで、腕力ではなく知力でのし上がってきたタイプだということに説得力が出る。
落ち着いた表情やどっしりした立ち姿はカリスマを放っている。外見のわりに大人びているところに、これまでの人生の壮絶さを感じ取ることができる。
一方、小柄ながら大きな剣を振るう姿にはどこか、幼さや儚さが見え隠れする。クライマックスのVSレンブラントへと向かうにつれて、彼がただの「今回の悪者」には見えなくなってくる。彼もまた悲しい過去を背負いながら、戦時下で必死に生き延びてきたひとりに過ぎない。

いままで抑えていた感情をむき出しにしてレンブラントに向かってくるニクラスの姿はやるせない。確かにリーマー家は憎き仇だが、それがすべてではない。仲間を殺した人間の兵士たち。自分の母親を犯し苦しめた父親。自らを混血だと差別してきたオルドたち。自分の中の「人間」の部分。彼の背負わされた、あまりに多くのやり場のない怒りと悲しみが、彼の咆哮から伝わってくる。

「誰にでも得手不得手はある」

このセリフから、彼が「大きな体、爪や牙、分厚い毛皮のない自分」と折り合いをつけて生きてきたのだと感じた。彼らの社会では「普通ではない」自分と。
差別されるマイノリティであるが故、気高きオルド、言うなれば名誉オルドとして戦いに身を投じ、自らの存在を証明しなければならなかった。そうでなければ、居場所がなかったのだろう。役に立たなければ、生きていることが許されない。幼い頃より頼る家族もなく(おそらく)、他のオルドには混血児だと差別され、まともな生活ができるとは思わない。
物乞いでもしてみじめに生き続けるか?それとも、兵士となり「誇り高きオルド」(単なるオルド兵ではなく)として、実力でのし上がっていくか?
ニクラスは自分の置かれた厳しい現実を受け止め、どうやって生きていけばよいか、合理的に考えられる性格なのではないだろうか。結果として、彼は戦の才能を発揮し、ミックルーツの中でも珍しく隊長格に名を連ねている。

しかし、彼はなぜ生きたかったのだろう。父親はおらず、母親にも愛されず、ほかの純血のオルド達にも「穢れた血」と蔑まれ。自分でも、自分のことを生まれてはならない存在だと思っている。そんな、消えかかったロウソクのような彼に手を差し伸べて、この世は生きるに値すると教えた者が誰か、いたのだろうか?芯にあるものが何なのか、まだ見えない。幼い頃に出会った同じ境遇の仲間たちのために、彼の命はちろちろと燃えていたのだろうか。

マイノリティとして世間の「普通」に合わせることの難しさや辛さがわかるからこそ、ニクラスはコニーが自分の隊ではできるだけ「自分らしく」いられるようにと、あのセリフを放ったのだと思う。
殺しのできない、おそらく別部隊では「臆病者」「愚鈍」と嘲られるだろう、兵士に向かない心優しい男。ニクラスはそんな男を疎ましく思うどころか自らの隊に置いている。そして、彼が彼のままで受け入れられる居場所をつくろうとしている。それだけの心優しさがニクラスにはある。
彼はミックスルーツの者たちがありのままで存在を認められ、生きていける場所を作ろうと試みている。種族の垣根がない、誰も見捨てない、レンブラントの語る理想は、まさにニクラスの望む世界だった。そしてそれが、どうしようもないたわごとであるということを、ニクラスはこれまでに嫌という程味わってきた。


「なぜ同じオルドが我々に刃を向ける!なぜだーーっ!」

武勲を立てることでのし上がってきた、ミックスルーツのオルドたちの希望が砕け散った瞬間だ。レンブラントを殺しディランドを奪還すれば、ミックスルーツであるために差別される仲間たちの立場も良くなるだろうという希望があったのだと思う。ニクラスがオルド軍で人間相手に戦っているのは、人間に対する復讐心もあるだろうが、復讐心だけに突き動かされている亡霊のような男には到底見えない。
コニーへの寛容な態度もそうだし、自分を愛せなかった母親を恨むことなく、その辛い気持ちを理解しようとする優しさもそう。ニクラスは他人の苦しみや悲しみに寄り添える男であって、単なる復讐鬼ではない。苦楽を共にした大切な仲間のためにも、彼はなんとしても故郷奪還を達成しなくてはならなかった。自らの命にかえても。

このセリフ、「なぜ同じ人間同士争う!」というシンプルな叫びとして読み変えることができて好きだ。

【その他お気に入りの台詞】

「花を供えると、天国へ行けると聞いた」

前作の堅パンに似た良さがあるシーンだ。
激しい戦いの後に詩的なシーンを持ってくることで、その美しさが際立つ。「砂漠の男と血の花」、というイメージもロマンチックだし、ガッファーが黙々と手を使って花を描く様子もまさに儀式の雰囲気があって美しい。感情をのせない淡々とした口調、「聞いた」というところに、登場人物だけでなく我々もポカーンとしてしまう。殺人マシーンだったガッファーに人間味がみえたような気がするのだが、「だったら殺しまくるなよ!」なのだ。どう反応していいかわからず、登場人物も我々も、あっけにとられてしまう。絶妙なわかりあえなさが、うまく演出されている。

次回明かされるであろうファルサリアの全貌が気になる。世界には兵器を売り、戦争をさせて儲けたいやつらがいて、他国に争いの火種を振りまく。それが、「傭兵」を擁するファルサリアなのだろうか?作中では、イムランだけがより近代的な武器である「拳銃」を使っていた。ファルサリアは各地で武器商人もしているのだろうか?ファルサリアの神とは、人間が「殺しを正当化する」ために作った神、なのだろうか?では、ルース教の神はなんのために作った神なのだろう?ゲームに書いてあるのかな?

それにしても、「砂漠地方」「イムラン(イスラム系の名前)」「信仰のために殺す」「過激派組織」「戦争・傭兵」というキーワードが直接的すぎないか。
もしかしたら、原作ゲームで、『砂漠マップといえばこんな感じの奴らがいそう』くらいのノリでステレオタイプに基づき採用されたアイデアに過ぎないのかもしれない。
しかしこうも要素がそのまんますぎると、舞台の脚本家は現代のイスラム教とそれを取り巻く諸々の事柄について学び、意識的に書く必要が出てくる。2を書いた脚本家さんなので、少なくとも、偏見を助長しないようには気をつけて書かれるだろう。

「手を握ると、何か変わるかと思ったんです」
「へぇ、どうだったよ?」
「握り返されたことにホッとしました。温かいのも」

「当たり前だろ、生きてんだから」

エピローグのこのやりとりが、今作のまとめになっている。貴族、貧民街、オルド、砂漠の国。異なる出自、異なる宗教を持つ者たちが集まっているのが、この舞台・ゲームの世界、そして我々の生きている世界だ。
違う、わかりあえない、と思っていた相手も、血の通ったニンゲンであるということ。争っている間はそんな単純なこともわからなかった。勇気を出して、手を差し出してみるまでは。共に生きる道は、そこから始まっていく。象徴的なシーンだ。

【今後の期待について】

舞台ETERNALシリーズは間違いなく、LDH史においてエポックメイキングな作品だ。LDHエンタメらしさと、らしくなさ。娯楽と、現実。この作品はそれらのギリギリの、最高度の位置に、1円玉を机に立てるような繊細な感覚で位置している。既存の顧客と、いままでLDHに興味のなかった新規顧客に同時にアピールできる、LDHエンタメの新しい可能性となるだろう。

ゆくゆくはボーカリストのボーカルバトル、パフォーマーのダンスバトルを組み込んだBOTの舞台がお出しされる!(当方はあくまでbot is hakenなのだ覇権アニメBOTに花京院の魂をかけるぜ!)


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