モグラのコート

むかし祖母が亡くなった後、遺品整理で母親が毛皮のコートを譲り受けた。
深い紺色のコート。丈は膝下くらい。モグラの毛だそうで、毛足は短く、そこまで「ザ・毛皮のコート」みたいな仰々しさはない。
シンプルだけど上品で、「いいなあ」と眺めていたら、母が「持っていけば」と言った。
当時まだ20代。とてもじゃないけど着こなせる自信はなかった。

「30歳になったら譲って欲しい」
と言った。

当時の自分にとって「30歳」という年齢は完全なる大人。
仕事も精神面も家庭も全て落ち着いて、「Domani」の一ヶ月コーディネートみたいな洗練された暮らしぶりをしてるもんだと思っていた。当然毛皮のコートだって着こなせるもんだと信じていた。

30歳になった年に、約束通り母からコートを譲り受けた。
母の知り合いで洋裁が上手い方に頼んで、膝くらいの丈に詰めてもらった。

ようやく自分のものになった毛皮のコートをいそいそと羽織って、鏡を見てみた。

そこには、洗練された30歳女性のかけらもなく、モサモサしたマタギのような姿の自分が映っていた。

昔はなんとなく、年齢を重ねたらそれに伴い自分の内面や環境がアップデートされるもんだと思い込んでいた。
しかし現実は、30歳という年齢になったからといって自動でステージが上がることなんてなかった。
うすうす感づいてはいたが、マタギ姿の自分を目の当たりにして、それが確信に変わった。

現在、その30歳からも早数年過ぎたが、精神面は小6くらいで止まっている気がする。
服装だって、昔は多少なりとも気を使っていたが、今や「家で洗濯・乾燥できる」ことが最優先になっている。できればアイロンもかけたくない。
スッピンのまま出かけるのも何とも思わなくなってしまった。

余計な自意識は年々削がれ、精神的には楽になっているのだが、それでも小さい頃に想像していた大人像と、いまの自分とのギャップに、ときどき気が遠くなる。

冬になると、ときおりクローゼットから毛皮のコートを取り出し袖を通してみるものの、鏡に映る私は相変わらずマタギだ。
それどころか、年々マタギ感が増している気がする。

話によるとモグラ200匹分の毛皮とのこと。
モグラの怨念なんだろうか。
モグラの成仏のためにも、はやく着こなせるようになりたい。

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