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パッキン

パッキンがなくなった。

ふだん米を炊くとき、鍋を使っている。
最近のお気に入りは、炊飯用の鍋。
火にかけてしばらく経ち沸騰すると、蓋が「ピー」と鳴る。
弱火にして、一合だと8分、二合だと10分くらい。で、火を止めてしばらく蒸らしたら出来上がり。

「ピー」が弱火に切り替える合図になるのと、蓋がガラスで中が見えるのが便利で、ここ一年くらい愛用している。

蓋の取っ手部分は取り外して洗えるようになっており、分解すると間にリング状のパッキンがかませてある。
そのパッキンがなくなってしまった。
透明なので、おそらく取っ手を分解して洗ったときに、水とともに排水ネットに流れ、生ごみと一緒に捨ててしまったのだろう。

「終わった」と思った。

せいぜい3、4センチ程度の大きさのパッキン。
今までその存在すら意識しなかった。
きっと、蓋が「ピー」と鳴るときにきれいな音を出すのを助けたり、蓋が熱くなったときに取手がガラス部分に与える衝撃を緩衝するなどの、重要な任務を担っていたであろうパッキン。
いなくなってみると心もとなく、その存在感の大きさをかみしめる。

今後の快適な白米生活に暗雲が立ち込めた私は思わずパニックになり、実家の母に「パッキンがなくなった」とメールした。
母は私と同じ炊飯鍋を使っている。

「パッキンだけ送ろうか」と言われた。
実家は九州。さすがにパッキンだけ送ってもらうのも、実家の炊飯鍋からパッキンを取り上げるのもしのびない。

一気に彩りが消え失せた炊飯鍋を横目に、しばらくは別の鍋で米を炊いたり、麺を食べたりしてしのいでいた。
別の鍋で炊いた米も、まあ、食べられないことはないが、やっぱり元の炊飯鍋で炊く米のほうが段違いに美味しい。

はあ、と暗くなっていたところ、夫が
「パッキンなしでも炊けるんじゃない?」
と言った。

え。
パッキンなしで炊くなんて、考えてもみなかった。

恐る恐るパッキンなしで米を炊いてみたところ、ほぼ遜色ない仕上がりとなった。

目の前が明るくなった。

そうこうしているうちに、実家から封書が届いた。
中には、父親が行きつけのホームセンターで大量入手した、ほぼ同じサイズのパッキンが入っていた。

家族に支えられ、今日も快適な米生活を送っている。

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