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意識・無意識のはざま

街中にあるものを、「意識されたもの」「無意識に存在するもの」という観点で観察してみる。
建物、信号機、ガードレールなどは、法律等に則り、あらかじめ計画・意図され、意識され設置されるものだ。
また、個人邸の軒先にある植木鉢や、「チラシお断り」といった貼り紙は、住人が意図して設置したものだけれど、あくまで私的な行為として設置されるもの。
ひとくちに計画して設置されたものといっても、公共的な意味合いが強いものと、私的なものとがグラデーション状に存在する。

意図され設置されたものの一方で、無意識的に、人為と無関係に存在するものもある。
たとえば誰かのカバンからこぼれた落し物。
どこかのお宅のベランダから飛んできた洗濯物。
アスファルトのスキマから生えた雑草。
人の意図からはみ出したものは、街の風景にスキマや余白、想像の余地を与えるように思え、ついつい目が行ってしまう。

街中の植物は、この「意識」「無意識」「公」「私」を行ったり来たりする存在なのが面白い、と思っている。

たとえば、もともと誰かのお宅の植木鉢に入っていた園芸植物が脱走して野良化したり、その逆で、どこからか飛んできた種が植木鉢に流れ着き、元いた植物と一緒に成長したり、街路樹の足元が誰かのガーデン化したり、もともと植木鉢に植わっていた植物が大きく成長し街路樹のように街の風景と一体化したり…

人為をかいくぐって独自のルールで生きる
街の植物は、一見計画されたもので囲まれているような街の景観にちょっとしたバグを生み出す。それを見ていると、なんだか妙に爽快な気持ちになる。

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