造園・園芸・雑草
路上で見られる植物を出自で分けると、計画して植えられた植物、個人が育てている植物、勝手に生えた植物がある。
石川初さんは『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』(LIXIL出版)の中で、それらを「造園」「園芸」「雑草」と区分している。
造園=制度によって配置された公共物としての植物。材料として植えられる植物は、ある程度の条件や傾向がある。
園芸=そこに住む人が個人的に育てている植物。造園が「あるべき自然像」を念頭に置き植物を選定しているのに対し、育て主の好みやその場所の局地的な環境を反映し、植物の種類や生育状況は多様だ。
雑草=意図されず勝手に生えてきた植物。壁や蓋の隙間などの「時間の隙間」と、維持管理の手が止まった場所の「時間の隙間」を利用して生える。その場所のコンディションを直接映し出す存在。ある意味、広範囲での「自然」を反映している。
出自を考えながら街の植物をみると、結構「造園」「園芸」「雑草」とが互いに混ざり合ったり、行ったり来たりしているのがわかって楽しい。
たとえば街路樹のプラタナスの根元で、誰かの植木鉢から逃げ出したであろうワイヤープランツが生い茂っていたり…
造園から逃げ出したらしきシマトネリコが雑草化していたり…
雑草らしき植物が植木鉢に侵入し、もといた黒法師と一緒になっていたり…
道路脇の植栽スペースが誰かの園芸空間になっていたり…
植物は人が定めた境界をやすやすと越境するし、人も自らの手であらゆる場所を庭化していく。
「造園」「園芸」「雑草」をトライアングルで考えてみると、街によって突出しているポイントが異なるようにも思える。
たとえば個人的な印象では、六本木は「造園」要素が強いけれど、京島や向島は「園芸」要素が強い。赤羽は「園芸」要素が強いものの、なんだか妙に植物が元気なので「雑草」要素も強いように思う。
新宿は、西口はやや「造園」寄りだが、新宿三丁目界隈は「園芸」「雑草」要素が強いように思う。
あくまで個人の印象に過ぎないが、この差はどこから来るのだろうか。
いろんな街を、「造園」「園芸」「雑草」を意識しながら歩いたら興味深そうだ。
参考資料
『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い ―歩くこと、見つけること、育てること』石川初・LIXIL出版
https://www.amazon.co.jp/dp/4864800383/ref=cm_sw_r_cp_api_i_iptcCbHK3ZHWY
都市想像会議
第11回「ネイチャー×都市」 都市と自然の新しい関わり方はあるか?
http://www.shibuya-univ.net/cic/doc/cic_report171031.pdf