家族・友人・知人

高校卒業して地元を離れて、地元で暮らした年数よりも、離れて暮らした年数の方が長くなった。
地元は九州。別に地元で何があったわけでもないけど、知り合いが一人もいないところに行きたいと思い、北海道の大学に行った。
地元へ帰るのは、年に一度程度。両親とはたまにLINEで連絡を取るくらい。「そういえば手術をした」という報告が、手術からしばらく経ってからきたりする。
親孝行とはほど遠い関係。
冷たいのかな、冷たいんだろうな。

地元や大学時代に知り合った人とも、ごくわずかな人を除いて、ほとんどまめに連絡はとっていない。
「人に興味がなさそう」と言われることがある。実際そうかもしれない。
Facebookでつながっている人もいるが、私はほとんど告知にしか使っていないので、昔の知人には「なに、路上園芸学会なる得体の知れない活動をして…」と、とつぜん信仰宗教やマルチ商法にでもハマってしまったイタい人のように思われているだろう。
タイムラインに流れてくる、知人の幸せそうな家族写真を見ると、「ああ、遠いところに来てしまったな…」と途方に暮れたりもする。

「友人と知り合いの違いは何か」という話が先日ちらりと出た。
ほんとに、なんなんだろうか。

高校までは、同じクラスで同じ「グループ」で教室を移動したりお弁当を食べる人、近所の子など、同じ環境で物理的に長く時間を共有する人が「友だち」と認識されていた気がする。
自分が不精なのもあり、当時の「友だち」とはほとんど疎遠になってしまった。

大学時代にmixiやブログが流行り始めた。それまでは友人知人の人格を把握する方法として、対面の会話や電話、メールなどの直接のコンタクトがメインだったが、そこにSNSやネット上でのバーチャルな情報が含まれてくるようになった。
その頃から、友人知人の捉え方も結構変わってきたと感じる。

たとえば対面で話したときに交わす言葉数が少なくても、SNS上で発信する言葉に共感を持てると、会う回数は少なくても一気に親近感を覚える。

以前はSNS上では、ほとんどリアルな知り合いとしかつながっていなかったが、5年ほど前から、「路上園芸学会」のアカウントを開設して発信するようになり、SNSをきっかけに知り合う人が増えた。
SNSの使い方は人それぞれと思うが、対面だと緊張してしまうコミュ障の私にとっては、人目をそこまで気にせず、自分のコアな部分や思ったことを発信できる、便利なツールだと感じる。
何度も会っている人より、会ったことないけれど発言に共感できる人に親近感を覚えることもある。
コアな部分が通じ合う分、会う回数は少なくとも、親しくなる速度が早い気がする。

本を読んで、著者に共感するのと近い感覚かもしれない。

職場とか学校とか、過ごす環境が同じってだけで、ありえないほど価値観の合わない人はたくさんいる。
その人間関係の中でしか生きられない場合、リアルでうまくコミュニケーションが取れない私なんかは、一気に気が滅入ってしまう。

読書やSNSは、私のような人間にとっては、心のコアな部分を解放してくれるツールだと思う。
そこで共感しあえる人は、会ったことなかったり会う回数は少なくとも、私の中では間違いなく「友人」だ。

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