見出し画像

王滝村の三浦太夫

長野県の王滝村には、宝治合戦で行方不明となった、兄上の息子・四郎家村が逃げ込んだという伝承がある。

しかしネットに転がってた王滝村の家村の情報は、一貫性がない。

滝越地区は平家の落人の里
三浦太夫は朝比奈三郎のことである

などなど。

更に混乱するのが

「執権北条氏との対立が激化して 勢力が弱まり, 1516(永正13)年に 和田の合戦で北条早雲に倒され 滅亡した」

https://840.gnpp.jp/kiso-miurashi/

という村の公式っぽい記述

やはり現地でフィールドワークするしかないか……と滝腰に到着。

まずは腹ごしらえかつ、 手掛かりである看板があるという水交園へ……!

天ぷらと蕎麦を頼みつつ、看板の事を聞くと……なんと

「あーあれね、根元がくさっちゃったから撤去したんですよ」

という驚愕の事実を知らされる。

しかし、年に一度祭りをするという「三浦太夫の杜」の場所を聞く事ができた。そして更に……

店長「三浦太夫の事を纏めて本にしたおじいちゃんがいるんですよー」

オレ「その本ありますか?」

そしてこの著作者の家を訪ねてお話を伺ったりして、帰路についた。

本と言っても自費出版で市場に流通しているわけではないので、現地に行かないと購入できない貴重な本だ。

国会図書館にもはいっているようだ。

この本の何が凄いって、ただの伝承の紹介だけでなく「検証」という視点を持って、現地の地元民で子孫であるにも関わらず、伝承に対して「疑い」を持っているという所だ。

歴史を掘るのが好きな者たちは解ると思うが、このように考えられる事は本当に凄い。

以下、本をざっと読んで抜粋すると……

王滝の三浦太夫は昔から「朝比奈三郎の事だ」と信じられてきた。その理由は江戸時代、水戸の儒学者松平秀雲がこの地にやってきて、村の老人が「戦から落ち延びた三浦太夫が先祖だ」といった所「それは朝比奈三郎だ!間違いないよ! それ以外ありえない!」と断言してしまったからだ。

著者も朝比奈三郎の子孫だと教えられてきたそうだが、それをずっと疑問に感じてきたそうだ。

そして長い間、研究者ではないが自分の足で歩いて、確かめ、木曽中の三浦姓を取材し、三浦太夫とは三浦家村ではないのかという結論に達する。

先祖の三浦太夫は朝比奈三郎ではなく、三浦家村の事だと木曽の三浦に伝えるため、残す為に本にした。

この本の完成は2002年。おそらく、この本の取材に応じた古老たちの話はもう聞けないだろう。

本当に…本当に貴重な本を書いてくれた゜・(ノД`)・゜

本当にここに家村が逃げてきたのか、は解らない。しかし少々信憑性を感じるのが、王滝村の入り口から滝越までのそれぞれの集落に、「見張りになれ」と言われた家が1軒〜2軒あり、先祖伝来の刀もあるそうだ。刀自体はそれぞれ失われてしまったらしいが、この用心深さ、まさに三浦党。

(2016年8月)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?