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低賃金カルテルと一般意志らしきもの


先日すこしばかりEvilなTweetをしたくなる記事を目撃したが自重したのである。

佐々木希をゲットできる男は元々がモテるのだし、佐々木希が妻というプレミアムがついてしまったら浮気しないでいるのは難しいなどということが言いたいのではない。また佐々木希でも飽きてしまうのか、と言いたいのでも勿論ない。

というわけで先日のこのエントリの続きです。

豊洲市場という物流の現場でのハードワークが禊とみなされてしまう現実である。他にも介護なども禊のイメージがつきまとうが、これらの労働は昨今の疫病騒ぎでエッセンシャルワークと呼ばれることが多くなった。その名の通り、誰かがやらなくてはいけない仕事である。そしてしばしば(人手不足といわれているにもかかわらず)低賃金である。

この現象は数年前から低賃金カルテルと呼ばれるようになった。低賃金である理由は誰でもできると考えられているから、というのが大きいように思われる。

世間の人びとは口先だけでは「介護士はプロ、保育士は専門職」などと讃えて見せるが、しかし彼らのプロフェッションに相応の対価を支払おうとはしない。エッセンシャル・ワークの多くは「基本的にだれでもやれる仕事だが、あえてみんながやりたがらないから、それがたまたま仕事になっているもの」だと考えられているからだ。老人や幼児の世話など本当はだれでもできる、掃除などだれでもできる。だがみんなやりたがらないだけ――と。

まあ介護や保育は家内労働のアウトソーシングにすぎないので低賃金でもしかたないという空気があるのは否めない。というか、家庭できないものを医療、家庭で(技術的には)可能なものを介護や保育のような福祉としてジャンル分けしてるところもあるので賃金構造がアレしてしまうのはやむをえないのかもしれない。

世間ではなんとなく、大変だし重要な仕事ではあるけど低賃金でもしかたないという空気もある一方で、いやいやまっとうな賃金を払うべきだという一派もいる。政府は無限に貨幣を発行できるのだからエッセンシャルワーカーに賃金を保証することは可能だと思う。そして個人的にはそれも悪くない政策だと思っている。

しかしエッセンシャルワークに携わる人は膨大だし、今後は高齢化に伴ってさらに必要な員数は増えていくものと思われる。そして全員にまっとうな賃金を払うとどうなるか。みなさん忘れているかもしれないが、彼らは人間である。だから良い賃金を与えられたらそれらを使って消費するのだ。そしてそのお金は消えないで、誰かの所得になる。お金を消費に使ったら消えるわけじゃない(納税すると消えます)。

これはなにを意味するかというとエッセンシャルじゃない産業も栄えてしまうということだ。エッセンシャルじゃないけど楽しい産業でも繁盛して人手不足になれば労働需要が発生する。そうするとエッセンシャルだけど楽しくない産業で働く人は激減するのではないか。
そこで負けじとエッセンシャルワークの賃金を上げるとインフレスパイラルが始まるだろう。

私は先ほどエッセンシャルワーカーに良い賃金を払うのは悪くないと言った。それは相当程度のインフレを受け入れると言っているのと同じである。あるいは賃金インフレに引っ張られる形でイノベーションもおこるだろう。左派加速主義者としては大変好ましい事態である。

しかしそれらを好ましくないと思う人もいるだろう。年率2%を超えるインフレは嫌だ、労働者が機械に置き換わるのは嫌だ・ケアワークは人間じゃなきゃやだ、などなど。

私は最近、こういう風潮が低賃金カルテルの要因ではないかと考えるようになった。つまり大量に存在するエッセンシャルワーカーにまともな賃金を払うと強烈に需要を喚起してしまい、インフレや機械労働を招来する。これを嫌う空気があるのではないか。

もちろんそんなふうにインフレや機械労働が嫌だから低賃金カルテルを維持したいと考える主体がいるわけじゃない。なんとなく、一般意志とでもいうしかないような風潮があるのではないかと思うのである。しかしここから目を逸しては、欠かすことのできない労働に賃金で報いるということはできないのである。



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