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お疲れさまでした!

 広島出身の将棋の兄弟弟子がいる。トータルの出来は弟弟子がいいが、兄弟子の才気も棋界随一と評判だ。ただ隙は多い。そんな兄弟子が棋士人生最後の大勝負と言って臨んだタイトルマッチを棒で負けた。明けて7月某日、傷心の兄弟子は海を見ている。対岸の島にはホテルニューアワジがある。一番でも勝てばたどり着いた対局場だ。一番も勝てなかったのでたどり着けなかった。埠頭にカモメが鳴く。兄弟子の後ろに弟弟子が立った。なにおまえ。いやたまたま通りがかりまして。弟弟子は直近の将棋世界誌上でタイトルマッチに挑む兄弟子について語らされていた。兄弟子ファンのスローガンは「山ちゃんをあきらめない」 弟弟子も山ちゃんをあきらめない。のみならず最も愛が深いのは他ならぬ弟弟子であることが伺える内容だった。天才です進化していますこれからの兄弟子から目が離せませんと話を結んだ。ありがとういい様に言ってくれて。礼を言う兄弟子に弟弟子はタイトルマッチの労を労った。これからどうしようかな…最後の大勝負を終えた兄弟子の前には勝負後も続く棋士人生が横たわっていた。眼前の瀬戸内の海は薙いでいる。竜王戦がんばってくださいよと弟弟子。最後と言っておきながら兄弟子には泣きのもう一丁というべきチャンスが残されていた。竜王戦で勝ち進み、準決勝に残っているのだった。でもなあ。再びタイトルマッチにたどり着いたとして、待っているチャンピオンは同じ人だ。ふじいくんという。兄弟子は棒で負けたタイトルマッチの後に、ふじいくん以外なら勝つチャンスがあったかもしれないと結んだ。彼相手だとノーチャンス。白旗を上げた。準決勝以降に踏むトーナメントの階段は公開処刑に向かう最後の数段だ。兄弟子は弟弟子に違う人が挑戦した方がいいよと言った。普段は呼吸をするように自虐をもて遊ぶ兄弟子ではあるがこれは本心のように思えた。堪える3連敗だった。兄弟子にタイトル獲得経験はない。弟弟子は1度取ったことがある。棋士を志す者は必ず少年時代にタイトル獲得を目標とする。タイトルっていうのは取るとやっぱり違うものかい?弟弟子は僕も1回取っただけですからと答えた。でも0と1は違うでしょ。ドイツのことわざで1回はなかったことと同じっていうのがありますけどね。おードイツ哲学。兄弟子ことわざと哲学はちがいます、ただそんなことわざがあるドイツからニーチェが出てきて永劫回帰を言い出したのは興味深いですけどね。弟は大学院まで哲学を学んでいる。永劫回帰ねー。実際前世でも君とこんなふうに海を見ていた気がするよ。前世の存在と永劫回帰は違います。そうなんだ。そうなんです。あの白いのがホテルニューアワジ?ここからだとホテルは見えないと思いますよ。でもあの白いのは…。同時刻、同ホテルではふじいくんが懇親会のステージに立っていた。棋聖戦第4局が結果キャンセルとなったことへの埋め合わせの会だ。

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