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死者と霊性 メモ2

中々継続しない私ですが、ちょっとNOTEやってみようと思います。
投稿の写真がでかくなるのはなぜなのでしょう…

それはそのうち慣れるとして、、、
今日も死者と霊性の心に残ったお話をメモしま~す。

そのお話は、コロナ渦の中で、子供と公園に行く機会が増えたそうです。そんな中、子供が道端のたんぽぽを目にして、「持って帰っても良い?」と言うので、「良いよ」といって持って帰ってきたそうです。

食卓にタンポポの花を活けておくと、朝晩にタンポポをみる機会が増える。
そうすると朝になったら開き、夜になったらしぼむ。 生命の躍動を目の当たりにしてタンポポの中に曼荼羅をみる。

それまでは札幌と東京に月二回飛行機で飛んでいたりするのに、そんな生命の躍動や真理に目を向ける時間がなかったことに気づかされたというようなニュアンスの文章がありました。

ほんの少し前の江戸くらいには、東海道五十三次、日本橋から京まで2週間徒歩でかかったといわれています。 季節を楽しんだり、道にある花を楽しんだり、会話を楽しんだり、出会いがあったり、した時代があったと思うんです。

しかし今私たちはものすごい情報量と無駄なものを省く効率化を求めらる中、花なんかみてもお金になるの?という声が聞こえてきそうな気がします。

さきほどのタンポポにあるように、タンポポの生命の躍動をみるだけでも「いのち」を感じそこに感動を感じる豊かさをどこかに置いて来てしまったのではないでしょうか。

霊性、目に見えるものだけを追い続けるのではなく、そこに死者があると感じられる豊かさを再度問われている気がしました。

読み進めていきます!

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