供養ってなんだろう

供養って何だろう。 普段お参りしていて、「ありがとう」と言ってもらえることは本当に嬉しい、しかし仕方なく、義務的なニュアンスでお参りをされる方もいます。

私も含めてそうですが、近代社会の快楽は所有欲であったり優越感を求めたり、獲得する喜びに傾いている気がします。
欲しかったものを手に入れられたら嬉しいものです。
私たちが次の世代へDNAを残すために本能的に「欲」としてプログラミングされているので仕方がないことですが、近年はより強くその傾向があるのではないかと感じます。

それは、自分の祖父や祖母が亡くなっても「忙しいから来れない」、親もお参りせずに「直送」という形が増えてきましたし、「孤独死」も多くみられます。

一生に一度、自分の身内が亡くなった時に手を合わせる意味が失われつつあります。それは、私たちの人生にとって本当に良いことなのでしょうか?

獲得する喜びは、人生にとって大事な事です。しかしもう一方で与える喜びをもう少し大切にしても良いのではないかと感じます。

私たちが今あるのは、たくさんの人のお陰様があります。
私たちは忘れていますが、2年間も満足に歩けず母親の腕の中で過ごす私たち。母親は大変だったと思いますが、子供の成長の喜びもあったのではないかと思います。

私たちが誰かに「ありがとう」と言われるような行為を与えられたとき、そこには少なからずの喜びがあります。

自分が亡くなって、もし自分の親しい人が自分を思ってくれるととても嬉しいのではないかと思います。

葬儀も法事も、しなければならないではなく、

お父さんやお母さん、亡き人の事を一緒に思えて、してあげられて「良かったよね」と言われる、

与える喜びを共に分かち合える時間となったら幸いです。

きっとそこに、効率的な世界でなく。
人生の中でここで共に生きた時間、縁のあった時間が輝く「生きる」という意味が強くなってくるものだと思います。

そして私も努力して、そうした価値や満足を当たり前に思える、葬儀や法事にしていきたいと思います。   合掌

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