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所謂日記

タイトルとか写真とか苦手、と言うか選ぶことができない。
だからいつもそっけない文章と、レイアウトになる。
我ながら情けなくもあるが「書く事」に先走り全くそっちに目がいかない。
これは、読んでいただこうと言う気持ちの欠如に違いないから「作家」には毛頭向いていない
と言う事だろう。
さて、私の仕事は作家ではなくて「建築家」だった。
30代まではとってもいい時代だった。
40代を超えると翳りが見え出した。
そこで思い切って舵をとればもっとマシな人生が遅れたかもしれない。
もしかしたらご存知の方もおられよう「JW_CAD」
私は多分本当の初期の愛用者だったはずだ
PCもDOSで動かす時代(MSーDOS3だった)
このCADソフトが建築知識の雑誌の付録で5インチFDで付いてきた。
運用はソフトの入った起動ディスクとデータを保存用の2枚で運用する。
保存できずに何百時間の作図時間を棒に振ったかわからない。
そのソフトが40年近く経ってからも現場では現役で活用されている。
結局CADソフトといっても自動立ち上げの恩恵は
適当ななパースとか展開図という部屋の壁面を描いた図面の自動立ち上げ程度にしか活用できない。
ドラフター(製図台)で手書きしていた頃が懐かしい
その前は平行定規というのを使っていた。
今でもA2サイズ用は車載のデスクの上で活躍している。

こんな建築バカの私であるが、時代の流れに乗り切れず昭和の時代であれば
窓際族というのがピッタリの存在になってしまった。
実力にあぐらをかき、後輩が「そのうち居場所を無くしますよ」って助言された一言が
いまだに心に刺さったまま取れやしない。
流石にクビにすることは出来ないらしくなんとかつながっている感じ。
しかし、私には家族があるからしがみついてでもポジションを確保する必要があったのだ。

それにしても、平和すぎる職場である。
緊張感も微塵もない
少なくとも私にそれを感じることができない。

「JWって使いにくいよねぇ」って向こうのほうから会話の一部が聞こえた。
娘くらいの歳の社員だった。
在籍する部署に男性社員は2名女性社員は10名。
直属の上司は以前は部下だった女性課長だ。
彼女が課長一年目、着任早々に私は大きなミスを犯してしまった。
しかも小さなミスが重なって堪忍袋の尾が切れたというやつだった。
以来、私は自分を殺して業務にあたる。
あぁ、ダメだなぁと何度も考えた。
こんな文章は誰にも読んでほしくない
そんな文章ばかり書いているから
タイトルも挿絵も無い味気ない文章になるのか。

今日の決意
もっとまともな文を書こう。
そして、見切りをつけて一歩踏み出そう。

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