他人とは(他人事とは思いたくない)
近頃、「他人」を意識せず自分自身のことしか考えていないのかと思える言動の目立つ人物が増えてきたと感じる。
少なくとも、私の世代が若かりし日は老若男女問わずこんなことを感じたことはない。
承認欲求とか共感力とか言っている割には言動が伴ってないんじゃないか。
そうか自分自身の事を強要しているのか。
と、解釈してしまう。
ワタシも昔は「今の若い者は」と耳タコほど上司にも顧客にも言われ続け
いつの日か「若い者」ではなくなっていた。
※「若い者」とは他人が私を見る意見であってワタシ自身当時から現在まで若者とか中年とか老人という意識は少ない。
だから先のように言われる事は無くなった。
ところが、言われ方が変わっただけで非難されることがなくなったわけではない。
直近では、それこそワタシからすれば若い夫婦とインテリアの計画について打ち合わせをしていた。途中、ご主人との打ち合わせでスムーズに終了しお見送り。
通常の打ち合わせとしか思えない内容であった。
翌日、メールでしかも初めて送られてきたPCメールにも関わらず内容はワタシの誹謗中傷である。
即座に「カスハラ」かと判断せざるを得ず上司に相談。
この地域で仕事をするようになり2件目のカスハラだった。
詳細に触れることはしないけど近頃ではほぼこんな状況の顧客を営業してくる担当者と
全く問題がない顧客を営業してくる担当者と二極化しているのではないか。
これが良いこと、よくないこととワタシに判断することはできない。
しかし、その後の対応をしていく部署の一人としては非常に困るし何より「怖い」
そして、今の経営陣は現場のj調教に目を向けられずに彼らを主要人物と捉えあっさり出世させてしまう。ワタシはとうとうヒラどころか「契約」にまで成り下がった。
人生は何があるかわからない。というけどおおよそ予想はつくだろう。
でもワタシにはその予想をつけるためのコミュニケーション能力に欠けていた。
予想をつけるにはできるだけ正確な情報を収集することが必要だ。
説明するまでもないと思うが、いつか話の流れで上がってくるかもしれない。
「思い上がり」「過信」がそれを邪魔した事が確かである。
また、ワタシの場合とにかく経験を積もうと転職を数度繰り返したことも人生に大きく影を落とすこととなった。いわば「黒歴史」と言える。
その時って気づかない。
いいとしか思ってないし、若造でもなく、中堅でもない時ってとんがってるから天の声が聴こえにくい。
この先はまたの機会に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?