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私の人生を変えた、あるウェブサイトの紹介

こんにちは。honokaです。「ラクイラ大学」で検索したら私のnoteがだいぶ検索結果に掲載されていることを知りました。せめてそこに合格してからの記事なら良いのですが…。合格したらよりよい記事と情報を出せるように頑張ります。

今回のnoteも、またそのラクイラ大学についてのことです。

私がこの大学を知ったのは、2009年の報道ではありませんでした。当時は身体的な持病により入院中でした。テレビを見られるほど病状が良かったわけでもなかったので、それに関する情報はどこからも入ってきませんでした。もし当時の私がそのことを知っていたら、私の人生ももう少し違うものになっていたと思います。

さて、私の人生を変えたのはこのサイトです。そう言ってもこれはイタリア語で書かれているため、多くの方は翻訳機を使わないと読めないとは思いますし、翻訳機を使ってもわからないところもあるかもしれないので、このnoteを書きました。

このサイトは、ricordiamoli insiemeというタイトルです。つまり「一緒に覚えておこう」、さらにくどく訳せば「私達は彼らのことを一緒に覚えておきましょう」となります。
「私達」が誰かというと「ラクイラ大学の学生さん、教職員、およびこのサイトを訪れた人全員」のことであるというのは容易に想像できますが、「彼ら」とは誰でしょう?
このサイトには、たくさんの方の名前が書かれています。この名前の隣には十字架が置かれています。そう、不幸なことに「彼ら」はもう亡くなっています。彼らはあることの犠牲者なのです。

こんな回りくどい前置きになりましたが、彼らについて説明するには、ラクイラ大学があるラクイラという街の悲しい歴史の1ページについて触れる必要があります。
そう、2009年に起きた地震です。309人の方が亡くなり(犠牲者を308人とするメディアもありますが、それはある妊婦さんが亡くなったのですが、胎児をカウントに含めるか含めないかということの問題です。詳しくはここに書いてあります)

その地震の中で、ラクイラ大学の学生寮(Case dello studente)が倒壊し、8名の学生さんが亡くなったのです。彼らのほかにも、当然自宅から通っていた学生さんであの震災に巻き込まれて亡くなった方もいます。その人たちが「彼ら」の正体です。

さて、話を戻します。先程のサイトは、ラクイラの地震で亡くなった学生さんや教職員を悼むためのものなのです。先程のページの下に、alla memoria di tuttiというリンクがあります。このリンクこそが、私があの日見たサイトなのです。

ここには、彼らに向けてたくさんの人がメッセージを書いています。詩や画像や文章。思い出や過去や未来。そのすべてが、私の心を打ったのです。

あまり話されることはありませんが、この地震のあと、多くの方々がひどい絶望を味わい、中には自ら死を選ばれた方もいます。私も8度自殺未遂をしたことがあるので「ある程度は」わかるのですが、自殺を選ぶということはそれだけ追い詰められた証拠であり、心理的視野狭窄と呼ばれる状態にあるのです。詳しくはこちらを。

振込先を設定していないため、サポートを受け取ることができません。 もし私の記事を読んで「助かったな」「興味深いな」「共感したな」などと思い、何らかの支援をしたいと思わわたら「イタリア中部地震の被災地に募金するには」という私のnoteをご覧ください。ご協力ありがとうございます。