「きっかけ」もなしに変われるほど、人は立派じゃない
#MacBookおじさんが話題になったときに感じたことなんだけど 、「自分で〇〇もできない奴がこれから先〜」ってアンチが生まれたとき、かなり気分が悪かった。
どうも最近この「自分の力で変われるのかどうか」という話に反応してしまう。
気分が悪かったということは自分が否定された気分になったからなんだろう。
だから、なんというか、過去の自分と今の自分も含めて擁護するような話になるのだけど。
ぼくは人が変わるときに、自分の意思だけで変わるのは無理だと思っている。
誰かからの言葉、行動、それらの外部要因からなんらかの影響を受けたとき、人ははじめて「自分を見直す」ということをするんじゃないかと思う。
その機会を得るには何か「きっかけ」が必要だ。
今日、ある女の子に「自分だけで行動を起こせないような人間が何かを成し遂げられるとは思わない」「だから自分はまだまだ甘い」というような相談を受けて、全力で否定した。
もしかしたら「甘い」という部分は合っているのかもしれない。
ただ、何かを成した人間は必ずしも最初から「甘くなかった」わけではないと思う。
一歩を踏み出したことで、足りてない部分に気づき、修正して、成長して、何かを成し遂げる。
だからこそ、ぼくは現状で考えていることが甘いかどうかより、その「挑戦」自体が自分の心からの本音なのかどうかのほうが大事だと思う。
人は必ずしも既に立派ではなくて、一歩ずつ立派になっていく。
現状の自分に足りない部分があっても、自分の意思に「成し遂げたいこと」があるのだとしたら、ぼくはとにかく「挑戦」してみればいい。
自分の本心に向き合うこと、気づくことは本当に体力を使う作業だと思う。
ときにはこれまでの自分を否定することになりかねないから。
でも、そこに大きな価値がある。
人は、多少なりとも外部的な要因がないと「きっかけ」を作ることができない。大切なことはその「気づき」を無視しないことだと思う。
ある「きっかけ」を元に自分に向き合うのはすごく怖い。体力もいる。
だけど、そのきっかけを得て、「変わりたい」と思う気持ちがあるのであれば、人は変われると思う。
だから、日々の生活の中にある「気づき」を大切にしてほしいし、もちろんぼく自身も大切にしたい。
「きっかけ」もなしに変われるほど、人は立派じゃない