朝の築地市場は日本と呼ぶにはふさわしくない
おはようございます。無事に外国(朝の築地市場)から帰国して自宅でキーボードを叩いている板前でブロガーのぼりです。
普段の買い付けは世田谷区の魚屋さんで済ませているのですが、次に控えている出張調理のお客様のご要望の品がどうしても築地市場に出向かないと手に入らない品だったので、久しぶりにバイクを走らせて行って来ました。
ぼくはよっぽどの用事がない限り築地市場にはあまり行きたくない。
と、いうのもあそこに行くときにはかなり気を引き締めて行かないといけないので、どっと疲れるのだ。
ぼく自身が魚屋で働いていた経験もあるし、この空間に来ると変な「生ぬるさ」はないので、板前修行時代のスイッチに切り替わる。
と、いうかスイッチを入れていかないと精神が持たない。
ぼくと会ったことがある人はわかると思うのだけど、普段は気が抜けているのでかなりヘラヘラしているのですが、ここに来るときは目つきが変わります。
ちょっと大げさに言えば「人」が変わります。常に「ナメてかかってきたらぶっ飛ばすぞ」くらいの気合の入れ方でいく。
なぜここまでしなきゃいけないのか。ちょっとその話を日記程度の気持ちで書きます。
朝の築地市場の治外法権
まず築地市場(場内)において歩きスマホなんてしてたらまじで怒鳴りつけられる。普通に立ち止まって商品を見定めていても「はいっ!!通るよっ!!」と跳ね除けられる。
どこのおっさんだよと思ったら魚屋のおっちゃんだ。
この空間で「こっちは客だぞ」理論は全く通用しない。
なのでクレーマーも存在しない。
ちなみに交通法も全くの適用外。
この写真を見ればわかると思うが、歩行者と車輌の区別はほぼない。
隙間があったら平気で「左側通行」というルールも無視されるので、自分の両サイドをトラックが通過するということも当たり前のように起こる。
一通りの買い物を済ませて凍え切った体を温めようとホットの缶コーヒーを買う。130円だ。もう何も気にならない。
ところが、売店にあった缶コーヒーが熱くて持てないレベルだ。なぜただの売店のコーヒーが火傷するレベルに熱いのか。
それは売店の裏口を見て見ればわかった。
缶コーヒーを鍋で茹でているのだ。写真を撮り損ねたのが悔やまれるが、そこに手をつっこんで普通に売っている売店のおばちゃんの皮膚はたぶん常人の五倍くらいの厚みがあるのだと思う。
完全に自分の常識を疑うがそんなことはもういい。疲れた。
周りを見渡すと売店の裏にパイプ椅子とテーブルがあった。
あとは帰るだけだからここで朝の一息をつこうと思い、腰掛けようとしたその時。
「ここは茶屋(おそらくカフェ的な意味)だから座んないでっ!!!」
先ほどコーヒーを買った売店のおばちゃんに怒鳴られる。
まず、魚屋の裏手にあるゴミの発泡スチロールに囲まれたこの空間を「茶屋」と呼ぶ時点で信じられないが、さらには買い物をした人間でさえも座らせてさえもらえないビップ席扱いのこの空間は一体なんなのか。
その疑問が晴れることはなかった。
「もういいから帰ろう」、そう思ったとき次は急な腹痛が襲う。
暖房設備など全くなく、風が吹き抜ける市場のおかげで腹が冷えたのだ。
そして急いでトイレに駆け込んだときに自分の目に飛び込む状態に絶望する。
これだ。
この時代にこの自販機。
駅前で配っているティッシュ並みのちり紙を100円で売りつけている。しかも小銭のない人のために隣にちゃんと自販機まで設置してだ。
ここまで足元を見た商売を久しぶりに目の前にしたのでもはや清々しい。
当然買うしか選択肢は残されていない。漏らしそうなのだから。
原価5円もあれば買えそうなティッシュを100円出して買った。
100円なのはいい。でも一言だけ言わせてほしい。
「お手ふきにも使えます」とのことだが、そのくらい見れば分かる。
こうして買い物とトイレを済ませてようやくぼくは「日本とは呼べない空間」から帰宅することができた。
と、まあここまでかなりディスり目には書いたものの、ぼくは築地市場の「雑な感じ」が実は嫌いじゃない。
修行時代の気持ちを思い出せることもあるし、意識的に気持ちを切り替えることができるので、気が引き締まるから。
ただ、久しぶりに自分の気合スイッチを ONにした途端にどっと疲れたので一回寝ます。
朝からただのぼくの日記におつきあい頂きありがとうございました。
みなさん、今日も1日はりきっていきましょう。では、おやすみなさい。
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