ひとつづつ増えていく「ただいま」と「おかえり」
三軒茶屋にあるシェアハウス「ハイパーリバ邸」を離れ、千葉県のコミュニティースペース「まるも」に移住して半月が経った。
そして先日、半月ぶりに「ハイパーリバ邸」に足を運んだとき、リビングで「おかえり」と迎えて貰えて「ただいま」と言った。とても、居心地がいい。
刺激たっぷりな東京の空気に触れ、夜遅くに再び戻ってきた「まるも」で一言目にもらった言葉はまたしても「おかえり」だった。
ここでもまた、「ただいま」と口にする。
思えば、千葉と東京、どちらの拠点を出るときにも、口から出る言葉は「いってきます」だった。そして到着したときは「ただいま」。
実家に帰ったときも「ただいま」というし、離れるときは「いってきます」という。
これは拠点だけじゃなく、対「人」においても一緒だ。
地元の友人、東京で深く関わった人、今現在深く関わっている人。
そういえば、「ただいま」という言葉は「原点」に戻ってきたときに使うもので、どこかで原点とは「ひとつしかないもの」だと思っていた。
でも、人や拠点のどれかひとつが原点である必要はなく、全てが「ある時から見れば」原点なんだとこの歳になってようやく気づく。
この感覚は一度しっかりと腰を据えた場所、向き合った関係の中にしか生まれない。
2ヶ月前、離れることが寂しいと思った「原点」。
こんな原点が増える度、「ただいま」と「おかえり」が増えるのだと思うと、生きて会えるのであれば、別れの寂しさも悪くないと思える。
忙しくなるとつい見失いがちになるけど、ひとつづつ生まれていく人や場所に対しての「ただいま」と「おかえり」の関わりを、この先も大切にしていきたい。
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