小さな自分を整理し切れない

あけましておめでとうございます。ぼりです。

新年さっそくでございますが、ちょっと自分のモヤモヤした部分を文章化してみます。


新しい行動、開いた「地元」との距離感

ぼくは昨年の7月にハイパーリバ邸設立費用を集めるためのクラウドファンディングをはじめるときに勤め先の都内料亭を退職しました。

退職したタイミングはクラウドファンディングに重なっていたのだけど、他にもいろんな違和感などがあって辞めた。この話はまた別の機会に。

ぼくは板前修行する為に地元石川県を離れるときに「10年後に自分のお店を開きに帰ってくるから期待しててね」と大口を叩いて離れた。

それから約6年間、大阪、名古屋、東京と個人割烹料理店や居酒屋、そして料亭などを転々とした。

毎年、大型連休になるたびに地元に帰って、「帰ってきたよ〜!」ってみんなに自分から声を掛けて飲み会を開催していた。

ところが、クラウドファンディングに挑戦すること、板前修行を辞めたこと、ブログをはじめたこと。このあたりから段々地元の友人との関係が薄れてきた。

長い付き合いだ。理由はだいたい想像がついた。

実際に起こったこととしてわかりやすく言えば、Facebookの投稿に「いいね」がつかなくなった。SNSって便利だけど残酷だ。

「そんなこと気にするなんて小さいやつだな」って思ってもらって構わない。
ぼくは自分を誇張する気はない。小さい人間だ。

そんな小さい人間のぼくにとってはそれはめちゃくちゃな死活問題だった。

地元を離れたといえ、店を開くつもりもなくなったとはいえ、ぼくが大都会に出て頑張っていられたのは、地元友人の支えがあったからだ。

このときのぼくのダメージはなかなか大きなもので、ぼくはかなり脆い状態になっていたと思う。


心に落ちた黒い影

それでも東京で新たに恵まれた友人たちと一緒に、なんとかクラウドファンディングを成功に終えた。

7月末のことだ。

8月のお盆の期間に入り、ぼくは1年ぶりに帰省した。
その時に久しぶりに会った地元の友人に一言目に言われたことは今でも忘れられない。


「金くれっていわれるかと思った」
「で、ハイパーリバ邸って何?(笑)」


ぼくの中で「不安」としてとどまっていたことがこの言葉で実証されてしまった。

ブログを始めたこと、クラウドファンディングに挑戦したこと、仕事を辞めたこと。

地元石川県から遠く離れた東京でぼくがやっていることは「怪しいビジネス」と捉えられていたのだ。

10人ほど集まった友人の中で昔とかわらずぼくと接してくれたのは3人くらいだったと思う。

その友人からは「みんなぼりが知らないとこに行ってしまったみたいで怖いだけだから気にしなくていいよ、ぼりがぼりなら大丈夫」そう言った。


言いたいことはわかる。だけどこのときぼくの中に黒い影が落ちたのは確かだった。


無我夢中に働いた

お盆が終わり再び東京に戻ったぼくは、当然ふらふらしてはいられない。

働いて、自分の力で価値を発生させて、それにちゃんと対価としての値付けをして、それを代金として頂戴していかないと生きていけないのだから。

イベントも開催したし、オンラインで料理サロンを開催してみたり、出張調理の活動を本格化した。

何から手をつけていいかもわからずにはじめたので、改めて振り返っても無我夢中だったと思う。

そんな暴走板前もなんとかいろんな人に声を掛けてもらって、料理関係の仕事を頂いたり、板前なのに登壇したりした。

そんなこんなで気がつけば年が明けていた。


そして年が明ける少し前くらいからだと思う。ちょっとずつぼくの周りに変化が起きはじめた。

地元の友人からFacebookに久しぶりに「いいね」がついたり、LINEが来るようになってきたのだ。


心に残る小さな影

また昔のように地元の友達から連絡が来るようになったり接点ができるようになったのはとても嬉しい。

でも小さな小さな人間であるぼくはお盆前に言われた言葉が忘れられない。

自分の一生懸命を「(笑)」で済まされたのが心の中で許せていないのだ。

もしかしたらこれから、もうちょっと成功してくればまたいろんな人から声を掛けてもらえるのかもしれない。「がんばってるね」って言ってもらえるのかもしれない。

だけど、一度「疑いの目」を向けてきた人が再び何事もなかったように接してくることをぼくはこれから先何も気にしないような顔で「ありがとう」と言えるかどうかは自信がない。というか今はちょっと地元の人とは会いたくない。


ぼくは今、小さな自分を整理し切れない。

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