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奈良の香りと共に味わうタリアータ

先日ご紹介したITALIAN WEEK 100(以下、IW100)の共通テーマ「発酵の可能性」
発酵が西洋料理界で注目を浴びて久しいが、私たちは宴を雪見障子越しに窺ってきた。そしていよいよ障子を開け向き合う時が来たらしい。
これを機に2024年を徹底的に発酵年間とすることにした。

とはいえ全く発酵と無縁だったわけではない。イーストを使わず酵母を使用した自家製パンを提供して10年以上になるし、友人が営む日本料理店では新人のトレーニングの一つとして、ぬか漬けの世話をさせて良い発酵状態と味を保つことを覚えてもらうという話をきっかけに、自家用にぬか漬けを作り続けている。

2024年IW100の開催も参加も未定だった2023年10月には「奈良の発酵食品の魅力を伝えたい!」というクラウドファンディングを見つけて微力ながら迷わず支援した。パルミジャーノ・レッジャーノを今西本店の抜き粕に漬けてみたところ素晴らしい相性だったので、フィンガーフードや食後のチーズ盛合せで提供を始めていた頃だった。
ちなみにこの抜き粕漬けパルミジャーノ・レッジャーノはその後クラウドファンディングのご縁で知り合った、奈良先端科学技術大学院大学微生物インタラクション研究室の渡辺准教授による成分分析の結果、発酵食品の組み合わせにとどまり新たな発酵は認められなかった。

さて、発酵を料理に取り入れることは家庭でも当たり前となり、プロの料理人の発酵レシピ本も次々に出版され、ドリンクの分野でも活況を呈す中、本格的に料理に取り入れることはなかった。
微生物ってそんなに簡単なのかと不思議だったのだ。発酵のプロフェッショナルでさえ扱いが難しい。プロの料理人であれば発酵と腐敗の分岐点は見極められる、としてもだ。
そして何より正直なところその味わいが自分の料理に必要な要素だとは思えなかった。

先日訪れた奈良市の醤油蔵「井上本店」の吉川さんは10年ほど前、ヨーロッパに醤油を輸出できないかと思い発酵についてPRしたが「発酵?何それ?」と見向きもされなかったそうだ。それが今では見学させて欲しいと海外からコンタクトを取ってやって来る。彼らの熱狂や急激な広まりに一抹の不安を感じることがあるという。また顧客の糀水についての問い合わせからは、誤った解釈が広がっているのではと危機感を覚えるそうだ。

さすがに醤油は難しいとして味噌や漬物などかつては各家庭で当たり前に作っていたのだ、と言われても既に戦後生まれの私の両親にとってさえ ”かつて” であろう。もっとも現在は再燃傾向にあることは素晴らしい。
日本の高温多湿。その環境に古来身を置いてきた日本人にとっての発酵は乾燥地帯である西洋が考える発酵とは全く異なる概念をもつ。奈良の厨房で雪見障子越しに手を出さなかったのは、そのことを知っているからだ。
発酵の専門家である渡辺准教授と井上本店の吉川さんが危惧されている通り、日本の至る所には湿度と共に星の数ほどの微生物が存在する。その中で人間に有益であると特定され安全が確保されている微生物は数えるほどだ。そのいずれも、他の微生物を寄せ付けないたくましさを持っている。

奈良先端科学技術大学院大学の微生物インタラクション研究室の渡辺准教授にお話を伺った。お酒好きから微生物や発酵の世界にのめり込み研究者になられただけあって料理にも精通されている。渡辺先生から発酵ブームを見渡すと「発酵」と発表されているレシピの多くは広義に解釈された発酵で、そのほとんどは厳密には酵素分解にとどまるようだ。それでも腐敗と背中合わせに変わりはない。
ちなみに2023年に設置された当研究室により初めて、奈良漬けの発酵に関する科学的な解明に向けた研究が開始され、2024年奈良漬けの発酵に関わる乳酸菌の一種が特定された。

これらを踏まえて「発酵」をイタリア料理に取り入れ「可能性」を探る道筋が明確になった。

そこで生まれた料理の一つをご紹介する。
「宇陀牧場井上牛のタリアータ 奈良のフレーバーを添えて」

宇陀牧場井上牛のタリアータ 奈良のフレーバーを添えて

タリアータは日本のみならず世界で最も有名なトスカーナ料理の一つだ。ミラノで料理修行をしたトスカーナ州ピサ出身のシェフ セルジオ・ロレンツィ (Sergio Lorenzi) 氏が、古くから存在する牛肉料理ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを再解釈し、1973年に自身の経営するピサのレストランで提供したことに端を発する。同店は1978年ミシュランの星を獲得、1980年代に入りレシピが広まってピサ地域のほぼすべてのレストランで提供するようになった。

その後ピサから日本へ世界へと広まったタリアータを、奈良特有のフレーバーと滋味深さで表現した。
主役である宇陀牧場井上牛は、塊のまま低温でゆっくり火を通し仕上げに炭火で表面を焼いて切り分ける。生産者の「本当においしいお肉」への探究心の積み重ねにより生まれた牛肉の新鮮さと上質な肉質を味わうために、基本的で最適な料理法だ。

奈良特有のフレーバーとして添えるのは薄くスライスした「自家製抜き粕漬けパルミジャーノ・レッジャーノ」細かく削った「烏梅(うばい)」大和まなで蘇らせた奈良時代の漬物「須須保利(すすほり)漬け」そして新鮮な肉の赤身と発酵熟成をつなぐのは奈良のハーブ「大和トウキ」

発酵や熟成を経たフレーバーを添えることで肉の表面のメイラード反応による旨みと自然につながりながら、一方でそれぞれの風味の個性が明確に現れることから、トスカーナを代表する赤ワインであるサンジョベーゼを想起させるタリアータが実現した。

最もインパクトを与えるフレーバーは、抜き粕漬けパルミジャーノ・レッジャーノ。今西本店の長期熟成した抜き粕のフレーバーは熟成した赤ワインの香りを思わせ味わいに奥行きを与える。

烏梅のしっかりと燻された燻製香は肉の表面の炭火の香りを増幅し、真っ黒な外観を裏切る梅の鮮烈で爽やかな酸味は若々しいキャンティの如く食欲をそそる。ごく少量で一気に料理に生命力を与え華やかに彩るフレーバーだ。

付け合わせの野菜は、口中をリフレッシュさせつつ料理とトーンを合わせるためピクルスが必要だと感じた。そこで奈良時代の古代食でありぬか漬けの元祖ともいわれる「須須保利漬け」を、大和伝統野菜の一つ「大和まな」で再現した。栗粉、ひえ、大豆粉、米粉で野菜を漬け込む。栗粉や大豆粉の香ばしさが残るやさしい乳酸発酵は、繊細な大和まなと絶妙な相性を見せ異国情緒漂う味わいに仕上がった。その複雑な香りは、熟成したサンジョベーゼの要素でもある森の湿った土や下草を思わせる。

ワークショップで木簡も作ってみた。

ボルゴ・コニシの須須保利漬けとシェフ手製木簡

五條市益田農園の大和トウキのオイルは、サンジョベーゼが持つハーブのようなフレッシュで野性的な香りと旨みで、肉の新鮮さと発酵や熟成のフレーバーを爽やかにつなぐ。

タリアータを主役とし、奈良特有のフレーバーを添えることでサンジョベーゼの特徴が揃った。その味わいは滋味深さと共に未だかつてないフレーバーの組み合わせが新しささえ感じさせる。軸足をイタリア料理に置きながら、奈良で伝えられてきた発酵食品を用いることにより、両者の食文化が融合し得る可能性が見えてきた。

須須保利漬けに行きついた時、日本らしさを追求し開拓した平安時代以前の他国と交易があった奈良時代は、ある意味グローバルだったと改めて感じた。国際色豊かな奈良時代の日本の食文化だからこそ、現代のイタリア料理との親和性が生まれたのだと感慨深い。

「日本の発酵」について改めて学び考える中で、日本人でありながらイタリア料理人として日本の食文化の継承に貢献できることは何かを改めて考えさせられる。日本の食文化をイタリア料理にのせて世に出すことで、気付かない内になくなりかけている大切な物事に、新たな視点を見出すきっかけになる食体験を提供できるのではないか。その体験と共に「ことば」として伝承できるのではないか。

奈良で唯一古来の製法を守り続ける「純正奈良漬け」や生産者が一軒になってしまった「月ヶ瀬の烏梅」奈良文化財研究所が木簡から読み解いた「須須保利漬け」

歴史学者でも考古学者でもない現代を生きる一人の料理人が、イタリア料理と融合させることで「新たな食体験」と「ことば」として広め伝えていく、人々にとって良いものは伝承され進化しながら残ると信じて、これからもイタリアの食文化、奈良や日本の食文化を深く学び理解し誠実に広めていきたい。

ボルゴ・コニシの発酵年間は始まったばかりだ。



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