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【2015年4月】嵐――『トウキョウソナタ』感想文

 嵐が来る前に、万物は穏やかな様子だ。けれども、それはただの表象だと思う。本当は、さまざまな生物の心の中で、きっとさまざまな不安がある。だから、穏やかだと言う雰囲気は、複雑な気持ちを持っているに違いない。
 もともと平常の一家だった。突然、父の仕事が失ってしまった。それは家族にとって一番の衝撃だった。たしかに父は何も言わなかったけど、時間に従って、皆もう気づいたはずだった。生活はどんな様子になるのか、誰でも知らなかった。だから、皆は別々の考えが生まれた。でも、表から見れば、何時もどおりの生活だが、それと嵐が来る前の状態と同じだ。
 私は最初から、「どんなに隠れたとしても、きっといつかばれてしまう」と考えた。だから、その時を待っている気持ちが不安だった。まずは長男、軍人になってほしいと聞かせて、家族戦争が起こった。そして次男、ピアノが好きだから、こそこそピアノ教室で学ぶことがばれて、また大喧嘩があった。結局、長男はアメリカに行って、次男はピアノがやめた。父は体力の仕事をしていた。生活はまた穏やかになった。でもそうではない、ここからは本物の嵐が来た。母は泥棒と一緒ににげて、長男は行方不明で、次男はとても落ち込んで、父は自分の未来を絶望してしまった。以前の一家は今ばらばらになった。これは嵐に違いない。家族の皆、各自の衝撃と会って、特別な経歴を受けた。
 彼らのその特別な経歴から見れば、やはり嵐は恐いものだ。人の生活を破壊する力を持っている。でも、いくら強いとしても、きっと終わる時がある。自らの生活に逃げようとしても、結局その生活に戻らなければ成らない。そうしないと、生きている方向も価値も見つけない。最後に、ばらばらな家族はもう一度一つになった。
 それは嵐のおかげだと思う。嵐が終わったら、また穏やかな世界に戻る。嵐の恐さを知っていたら、自分のするべきことも見るけられる。だから、嵐の後、自然は長時間に平和な様子になる。その中の道理は、この映画で十分説明した。
 私はもう大学の四年生で、すぐ人生道路の選択をするべきだ。たぶん今後、いくつかの嵐がある。でも、それは災難というよりも、やはり必要な経歴と言ってもよいではないか。

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