見出し画像

BOØWY HISTORY 〜 続・小さなビートの木の下で 〜 at the final year 1988

1月26日、布袋と松井が、山下久美子の29歳の誕生日に渋谷公会堂での公演「ACTRESS OUT OF THE BLUE」に参加。

2月、山下の次回作となるアルバムのレコーディングに布袋と松井が参加。

2月3日、ビクター音楽産業より未発表3曲が収録された12インチシングル「DAKARA」が発売される。(オリコン週間ランキング最高2位)
同時にファースアルバムに「DAKARA」「OUT!!」「LET'S THINK」を加えた「MORAL+3」が発売される。(オリコン週間ランキング最高1位)

2月9日、氷室が帝国ホテルのスイートルームで音楽雑誌4誌共同インタビューを受ける。

2月17日、氷室が横浜で写真集「RENDEZ-VOU」の撮影を行う。

2月18日、高橋が「De-LAX」に加入。新宿ロフトで「"LATE NIGHT SHOW"」を行う。

2月26日、高橋が一般女性と結婚。

3月、氷室が初来日したミック・ジャガーとラジオで対談を行う。

3月5日、4月に2日間の日程で行われる東京ドームでの最終公演の入場者数に当たる約95000人分のチケットが発売される。発売開始からわずか10分間で約2万枚分が売り切れた。また、都内4ヶ所(新宿・池袋・神田・九段)のプレイガイドにはチケット販売開始直後に電話が殺到した影響で、文京区の電話回線がパンクする事態となった。(チケットはそれぞれ1~3時間ほどで完売)この出来事は新聞各社の社会欄でも取り上げられ、BOØWYの人気は社会現象にまで発展した。

3月25日、徳間ジャパンより8cmCD「INSTANT LOVE / TEENAGE EMOTION 」(オリコン週間ランキング最高70位)「 OH! MY JULLY Part I / OH! MY JULLY Part II」(オリコン週間ランキング最高1位)が発売される。
 
3月28日、高橋が氷室に誘われ東京ドームで行われた、HOUND DOGの公演を観覧する。

4月、リハーサル開始。メンバーは解散宣言以来約3か月ぶりに顔を合わせる事となったが、松井が曲のキーを失念したことから初回のリハーサルが即終了するというハプニングがあった。

4月4日、東京ドームで最終公演となる「LAST GIGS」の初日が行われた。
公演スポンサーであるオンワード樫山がライセンス契約している、ジャン=ポール・ゴルチエから衣装が提供された。本来はステージ上に設置されるギターやベースのモニタースピーカーが、ステージ下に設置された影響で音の返しが聞こえづらく、曲の出だしが揃わないトラブルがあった。公演終了後、モニタースピーカーをステージ上に移設し深夜までリハーサルが繰り返された。リハーサル終了後の音響調整は明け方にまで及んだ。 

4月5日、東京ドームで最終公演となる「LAST GIGS」の2日目が行われた。この公演を最後に、約7年間のバンド活動に終止符を打った。公演終了後は赤坂プリンスホテルのスイートルームで少人数による打ち上げを行った。


BOØWY解散後、氷室・高橋・土屋はユイ音楽工房に残留。布袋は糟谷と共同で音楽事務所「IRc2 CORPORATION」を設立。松井も同事務所に移籍する。

4月25日、徳間ジャパンより8cmCD「 MY HONEY /  LONDON GAME」
「 FUNNY-BOY /  THIS MOMENT」が発売される。

5月3日、「“LAST GIGS” LIVE AT TOKYO DOME "BIG EGG" APRIL 4,5 1988」
が東芝EMIより発売される。(オリコン週間ランキング最高1位)
公演から1ヶ月を経ずに発売されるという異例のスピードで制作が行われた。

12月24日、初のベストアルバム「“SINGLES”」が東芝EMIより発売される。(オリコン週間ランキング最高1位)7枚のシングルA面曲とB面曲の一部が収録されている。


<布袋寅泰>
4月5日「BEAT POP」(小泉今日子)
プロデュースを担当したホッピー神山の要請により収録曲「OVERTURE ~ CUTEY BEAUTY BEAT POP」「HAPPY BLUE★」「TELL ME ~ THE END」でギターを演奏。

<書籍>
4月1日「RENDEZ-VOUS」(CBS・ソニー出版)








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?