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BOØWY HISTORY 〜 続・小さなビートの木の下で 〜 at 1985 part Ⅰ

1月、ユイ音楽工房内に糟谷主導によるBOØWYの専属部署となる「ユイ・ロックプロジェクト」発足。サードアルバム制作に向けて本格的に動き始める。ディレクターには薬師丸ひろ子を担当していた東芝EMIの子安次郎が就任する。当初、布袋がサウンドプロデュースを担当する予定であったが、経験不足を理由に辞退したため外部からプロデューサーを招聘する事となる。東芝EMIから佐久間正英・土屋昌巳・伊藤銀次の3人が候補として告げられる。最初の面談相手はプラスティックスのファンであった布袋の要請で佐久間となり、東芝EMIの会議室でメンバーとの初顔合わせが行われた。布袋が強く要望する「ロックな音」を実現するため、佐久間は前年、根津甚八のアルバム「+B 1984 BERLIN」で使用した西ドイツの「ハンザ・スタジオ」でのレコーディングを提案する。予想外の展開に糟谷と子安は困惑するものの、メンバーが全員一致でこの提案に賛同したため、佐久間のプロデューサー就任と西ベルリンでのレコーディングが決定した。サウンドエンジニアには佐久間の推薦により根津のアルバム制作時に参加した同スタジオ出身のマイケル・ツィマリングが担当する事が決まった。当初は候補者全員との面談後にプロデューサーが選定される予定であったが、1人目に面談した佐久間がそのまま正式決定となった。レコーディングに向けて収録予定曲のリハーサルが千駄ヶ谷のユイ音楽工房のスタジオで開始。糟谷から長渕剛に詩を提供していた作詞家の松井五郎を紹介される。

2月2日、布袋の23歳の誕生日翌日に「HAPPY BIRTHDAY DEAR GUITARIST」が新宿ロフト行われ昨年脱退した、AUTO-MODとTHE PETSでそれぞれギターを演奏。

2月24日、メンバーと佐久間・糟谷・子安の7人が西ベルリンへと出発。氷室は過去に英語教材訪問セールスの成績優秀者(全国8位)に対する表彰式出席のため、カナダに渡航した経験があるが、他の3人にとっては初の海外渡航であった。土屋は出発数日前にパスポートを飼い犬に食べられ再発行手続きのため、遅れて西ベルリンに到着する。

3月6日、レコーディング完了。他にペッシュモード、マリリオンも同スタジオでレコーディングを行っていた。ホテルのパブでデペッシュモードと交流を深める。メンバーにはオフが1日与えられ、ロンドン在住のカメラマン、ハービー・山口によってフォトセッションが行われた。氷室が西ベルリンに滞在していた映画監督の石井聰亙(妻は浅野典子)に8mm撮影を依頼。映像は「NO. NEW YORK」のPV用素材として使われた。

3月12日、ロンドンへ移動。老舗のライブハウス「マーキー・クラブ」で3ヶ月ぶりのライブを行い、(前座はロニーゴールデン。ギタリストのスノウィー・ホワイトを含む80人程度の観客が訪れていた。)その前後、イギリス人ジャーナリスト、ミック・マーサーによるフォトセッションが行われた。16日に帰国する。

3月18日、メンバー4人がモデルに起用された、週刊誌「平凡パンチ」(マガジンハウス社)が発売。スタイリストは大久保篤志が担当した。撮影は渡独前に行われ、メンバー全員の髪は衣装のイメージに合わせ短くカットされた。大久保は3月12日〜9月18日までのステージ衣装のコーディネートも行った。

4月、布袋と松井は「フェルナンデス」、高橋は「パール楽器製造」とそれぞれエンドース契約を結ぶ。

4月13日、報道機関を招待したコンベンション・ライブがラフォーレ・ミュージアム赤坂で行われた。FUNKLOVE会員限定でチケットも販売され、客席には来日中のディベッシュ・モードやE・ノイバウンテンのメンバーも姿を見せていた。

5月、次回作のプリプロダクション(事前レコーディング)が「キティ伊豆スタジオ」で開始される。氷室が初めて単独で制作したデモテープがスタジオで披露された。

6月、泉谷しげる & タワーズに布袋が参加。

6月1日、初のシングル「HONKY TONKY CRAZY」が東芝EMIより発売される。ジャケット撮影を行ったハービー・山口がコーラスで参加。

6月20日、高崎文化会館で地元凱旋となるライブ「BROTHER TO BROTHER」を行う。音楽ホールでの単独公演は初であった。

6月21日、サードアルバム「BOØWY」が東芝EMIより発売される。(週間オリコンランキング最高48位)ジャケット写真はハービー・山口が撮影。

6月25日、初の大型コンサートホールでの公演となる「GIG AT FIRST HOMERUN」が渋谷公会堂で行われた。当初、2000人規模の会場での開催は不安視されたが、周囲の予想に反しチケットの販売は好調で観客はほぼ満員であった。

6月27日から7月19日、「BEAT 2 PLATOON」と題したライブハウス公演が大阪・名古屋・札幌で行われた。

8月3日、日比谷野外音楽堂で、「音楽を通じて反核・脱原発を訴えていく」がテーマのイベント「アトミック・カフェ・フェスティバル」に出演。当日まで出演者をシークレットにし、BOØWYはLOVE&PEACEをイメージした白いハトを飛ばしながら登場、日本のバンドのトリをつとめた。

8月11日、スポーツランドSUGO(宮城県)で開催された「Rock'n Roll Olympic '85」に出演。NHK仙台放送局が東北6県ブロックネットでこの模様を放送した。

8月22日、初の12インチシングル「BAD FEELING」が発売。B面の「NO. NEW YORK」と共にリミックスはニューヨークの「ライト・トラック・レコーディング・スタジオ」で行われた。レコーディングエンジニアは、ロン・セント・ジャーメイン。

9月5日、ビクター音楽産業よりデビューアルバム「モラル」が再発売される。布袋はサンプル盤を入手しようとビクターに電話するが断られる。その後、次作のレコーディングの合間に氷室を誘い2人で原宿のビクター本社を訪れるが「担当者不在」を理由にまたしても断られている。







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