見出し画像

まさかの訃報 嶋田功氏 死去

JRAの元騎手で、元調教師だった嶋田功氏が10/19に逝去されました。情報が錯綜していますが、NHKの報道によると『関係者の話では自殺とみられる』そうです。

また、ですか。デスノートでもあるのかと疑いたくなるくらい、自殺の報が増えていますが、これもコロナという特殊な状況が後押ししているのでしょうか。私の周りでも『希望が持てない』『日々が辛く感じる』という方は大勢います。それも若年層から高齢者まで老若男女問わずに。日本人は塞ぎ込みやすいと聞いた事がありますが、さすがに看過できません。自分ひとりでは出来る事は限られていますが、それでも出来る事をしようと思います。

亡くなった嶋田さんは、騎手時代は951勝、重賞52勝(GⅠ級14勝)という成績で、GⅠ級14勝の内、オークスは5勝、桜花賞は2勝、ビクトリアC時代を含むエリザベス女王杯を2勝しているように「牝馬の嶋田」として有名でした。しかも1972年のタケフブキから1974年のトウコウエルザまでオークスを三連覇するという史上唯一の記録も持っており、さらに1976年のオークスもテイタニヤで制し、5年間で4勝を挙げる活躍を見せます。なお、1975年はケガで離脱しており、騎乗機会で見れば四連覇という前人未到の大記録となります。

後年のオークスを見ても、それに近い記録は1993年のベガ、1995年のダンスパートナー、1996年のエアグルーヴと4年間で3勝を挙げた武さん、2004年のダイワエルシエーロ、2005年のシーザリオ、2007年のローブデコルテと同じく4年間で3勝を挙げた福永くらいしか居ませんからね。どれだけ素晴らしい記録か良く分かります。

牝馬以外でも、タケホープで日本ダービーと天皇賞・春を、アイフルで天皇賞・秋を制しており、決して牝馬だけというわけではありません。嶋田さんは負傷が多く、1972年の落馬では頭蓋骨骨折で意識不明の重体となりましたし、1973年には調教中の落馬で右の脛を骨折、1975年は発走直前に暴れた他馬に激突されて左膝の靱帯断裂という大怪我を負いました。いずれも長期休養を余儀なくされるケガであり、これらが無ければ1000勝達成はもちろん、リーディングジョッキーにもなれたと評されている点からも分かります。

私が思い出すのは、やはりハイセイコーを破ったタケホープでしょうか。父ちゃんが勝ったのに、嶋田の息子はハイセイコーが負けたと大泣きしたという逸話があるくらい当時のハイセイコーは人気でしたからね。それを9番人気がブッコ抜いてしまったわけですから、色んな意味で可哀相な父です。あとは4歳(現・3歳)までのテイタニヤですね。二冠牝馬なので良く耳にしましたが、オークス後に中2週で安田記念に出走して惨敗し、それ以降、13戦して馬券に絡む事なく引退するという成績が妙に記憶に残っています。

調教師に転向してからは、自らの最後の騎乗馬、かつ最後の勝利となったアイビートウコウで、調教師として初重賞を飾るという時代を反映した記録を残していますが、それ以外はワカタイショウで中山大障害・秋を勝利したくらいで目立った活躍馬は出せませんでした。そして定年前の66歳で調教師を勇退した後は、あまり話を聞かなかったですね。

実弟で元調教師の嶋田潤氏は『ぜんそくがひどいと言っていたが、コントレイルの菊花賞を楽しみにしていた』と話しており、突発的な何かがあったのかもしれません。他人の私が言うのはおこがましいと思いますが、酷く悔やまれます。コロナの影響か、自殺が問題なのか分かりませんが、通夜、葬式は行わないそうです。JRAもやっと観客を入れられるようになったばかりですし、せめて故人の冥福を祈る場所がほしいところですが・・・こんな場所ではありますが、心からご冥福をお祈りします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?