開催日割の変遷① 1984~1987年
今週から秋競馬が始まります。楽しい楽しい秋競馬ですよ。牡馬牝馬の三冠挑戦はもちろん、アーモンドアイ八冠の行方も気になりますし、短期免許勢の不在で日本人騎手がどう動くのか、ウキワクが止まりません。
さて、今年は京都競馬場の改修工事の影響で11月の京都開催は阪神に振り替えられ、その影響で9月の阪神開催は中京開催に振り替えられています。春に阪神開催が長かったのは、中京開催を9月に行うため日程を入れ替えたのですね。GⅠ開催は中央四場+中京、新潟に限定されているので阪神に振り替えていますが、個人的には中京で開催してみてほしかったなぁ。そうすれば7月の中京、9月の阪神も変更しないで済むし、12月の中京は3週間なので7週間14日開催で、来年1月は今年同様に振り替えれば影響は少ないのに。
にしても、これまたシリーズ化するのかなぁ・・理事長シリーズより書きやすいと思うけど、どこまで書けば良いのかって問題があるのですよ。事細かに書くのであれば色々と調べなきゃいけないのですが、所有する書物をひっくり返して四半世紀も前の事を調べるのかって言われたら、面倒というより物理的に大変だなぁと思うわけで、簡単に心が折れそうですね。
という事で、範囲は開催日割と変更時の大まかな理由、それに影響する出来事、重賞の変遷にしたいと思います。こういう日程だったよ、こういう理由でこう変更されたよ、それによってこんな影響があったよ、ってな感じで、重賞は新設、廃止、格付けの上下、移動など分かる範囲で書き殴って行きたいと思います。もちろん、脱線する可能性は多いにあります。
1984~1987年の開催日割
さっそく見て行きましょう。どこから始めようかなと考えていましたが、グレード制が導入された1984年から始めるのが切りが良いかなと思います。まず、当時の開催日割は下記のようになっていました。
開催日割は左から開催回数、開催競馬場、開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少、青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても、年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。
さて、グレード制が導入された84年は日本競馬の新たな船出となった年ですが、この年はシンボリルドルフが無敗で三冠馬となった年です。春にはハッピープログレスが短距離三冠(スプリンターズS、京王杯SC、安田記念)を達成し、毎日王冠で中央と地方の三冠馬対決があり、カツラギエースがジャパンCで日本馬史上初となる勝利を挙げるなど素晴らしい成績の素晴らしい戦いが見られました。
顕彰馬制度を導入したのも、天皇賞・秋の距離が2000mに短縮したのもこの年ですが、岡部幸雄がレース中に杉浦宏昭を殴打したのも実はこの年なんですねぇ。血気盛んなお年頃だったのでしょう。あっ36歳か・・岡部さん・・こういう話をしているから脱線していくのだよ。いい加減学べ私。
開催日数は東京、中山、京都、阪神の中央四場は40日、新潟、福島、中京、小倉のローカル開催は24日、北海道シリーズは16日でした。私には、この日数はとてつもなく綺麗に見えるのです。4週8日を一開催として全体的にバランスが良いですし、中央四場に頼らず多様な競馬場で多様な競馬が見れたと思っています。
現在との違うところは、春の小倉と中京、札幌と函館の開催月が入れ替わっている点、秋の福島が連続開催な点でしょうか。5月中旬から第3回阪神競馬が始まっている点も面白いですね。これを基礎に翌85年を見てみましょう。
1985年
85年は前年に引き続きシンボリルドルフが活躍します。日経賞、天皇賞・春を快勝して先輩三冠馬ミスターシービーを引退に追いやりました。宝塚記念はハ行で出走取消、天皇賞・秋はあっと驚くギャロップダイナにやられましたが、ジャパンCと有馬記念を勝ち、前人未到のGⅠ7勝を達成しました。
クラシック路線は同年のダービーはシリウスシンボリが優勝し、シンボリ牧場の連覇となりましが、皐月賞と菊花賞はシンザン産駒のミホシンザンが勝利して変則二冠馬が誕生しました。マイル路線ではニホンピロウイナーが安田記念とマイルCSを連覇し、前年のマイルCSから史上初となるマイルGⅠ三連覇を達成するなど、同年も後世に残る記録が誕生した一年でしたね。
また、『泣きの昭ちゃん』こと大崎昭一騎手が本馬場入場で知人とお喋りして4ヶ月の騎乗停止を受けたのもこの年です。こういう事を書いてるから長くなるのだよ私。
開催日割は前年とほぼ変わらず、変更されたのは春の第1回新潟が福島に振り替えられたくらいでしょうか。調べてみると馬場改修などの大型工事ではなく、厩舎地区の改築工事を行っていたようです。この時代はなかなか情報が残っていないので調べるのが大変でした。重賞は94R、GⅠは15R、その他に障害とアラブの重賞が計10Rありました。現在との相違点は以下のとおりです。
施行競馬場の変更および廃止
まだアラブが残っていた時代ですね。それ以外にも今は廃止されたレースが4Rもありました。ラジオたんぱ杯(現ホープフルS)が牝馬限定だった事には驚きです。
格付け、名称、条件(距離を除く)の変更
格付けが上がったのはGⅠに昇格した3R、下がったのは鳴尾記念1Rですが、JRAの歴史の中で格付けが下がったのは鳴尾記念、CBC賞、京都新聞杯の3Rのみだそうです。CBC賞は90年にGⅡ昇格後、2006年にGⅢ降格、京都新聞杯は2000年のみGⅢに降格するという珍事プレーを起こしています。
名称変更は、4歳牝馬特別・東西とか、牝馬東京タイムズ杯とか、テレ東賞3歳牝馬Sとか昭和臭が漂うレース名からナウでヤングでトレンディなレースに変更したようです。ウインターSが東海Sに吸収合併されたのは悲しいですね。あと札幌にまだ芝コースがありませんでした。
施行時期と距離の変更
路線整備に伴う施行時期や距離の変更、開催競馬場の入れ替わりに伴う数週間の移動などがメインです。今とは結構違いますが、ダビスタやっていた身からすると辛うじて覚えているレースなどもあります。
1986年
86年はメジロラモーヌが史上初となる牝馬三冠を達成した年です。同馬以降にスティルインラブからアーモンドアイまで4頭の牝馬三冠馬が誕生しましたが、メジロラモーヌは唯一、トライアルを含む牝馬三冠を完全制覇した事で有名です。時代が違うとは言え、これはかなりスゴい事なんですよね。また、天下の社台ファームが始めてダービーを勝ったのもこの年で、ダイナガリバーは私の好きな馬の一頭でした。
それから第3回阪神競馬で誤審事件が起こりましたね。昔良く聞いた【決勝審判委員が肉眼で確認した際に取り違えた】事に端を発したこの問題は、最終的に裁判沙汰になって原告であるファンが勝訴したのですが、その裁判時のJRAの対応は自らが起こした問題であるにもかかわらず、『証拠が無い』の一点張りで払戻を認めなかったというのだから、大昔でもJRAはJRAだと強く認識できた事件でした。
開催日割は喜ばしい事に84年と変わらない内容となりました。この後しばらくの間はちょこちょこと変更があり、変更無く開催できるのは92年まで待たなければいけません。重賞は94R、GⅠは15R、障害とアラブの重賞が計10Rには変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。
前年の新潟大賞典は、厩舎地区の改築工事に伴い、福島で振り替えていました。アラブの2Rはこの年から北海道地区に移動しており、ここから廃止まで変更はありませんでした。
1987年
87年は皐月賞と菊花賞の変則二冠馬となったサクラスターオー、我らが野中君の師匠である根本康広が主戦のダービー馬メリーナイス、牝馬二冠のマックスビューティ、ゲームによく登場したマティリアルなど名前をよく覚えている馬が活躍した一年でした。天皇賞・春でニシノライデンが斜行、失格となり、降着制度創設の呼び水となる事件もありましたし、また、この年にデビューしたのが後の天才騎手武さんでしたね。
開催日割は第1回の中京と小倉が入れ替わりました。私の手書き資料によると、何でも名神高速は冬になると悪天候が続き、中京競馬場まで輸送に支障が出ていたため、それぞれの開催を入れ替えることで対応したらしいです。つまり、一時的な変更ではなく、恒久的な変更という事ですね。この変更に伴って、毎年4月上旬に行われていた小倉大賞典は2月移行する事になりました。余談ですが、小倉競馬場にダートコースが完成、利用開始をしたのはこの年の2月だそうです。
重賞は6R増加して100Rとなりましたが、GⅠは15R、障害とアラブの重賞が計10Rには変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。
新設重賞は4歳(現3歳)のレースが多く、短距離とダートも少しづつ整備され始めたようですね。開催日割の変更に伴い、小倉大賞典、中日新聞杯、中京記念の時期が入れ替わっており、ダイヤモンドSは開催競馬場の変更がありましたが、開催時期はほぼ変わっていません。
ただ、阪神大賞典と鳴尾記念が入れ替わっていますね。今でこそ阪神大賞典は天皇賞・春へのトライアルと認知されていますが、当時はステイヤーズSと並ぶ冬の長距離戦でした。たぶん鳴尾記念より距離が長い分、トライアルとして使えると思われたのでしょう。名門レースだった鳴尾記念の凋落はこの辺りから始まったような気がしますね。
②に続く
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