豪腕 郷原、逝く

また一人、偉大な競馬人が逝去されました。「豪腕」郷原と言えば、古い競馬ファンには馴染みのあるフレーズ。様々な名騎手に埋もれがちですが、2014年(平成26年)に7人目の騎手顕彰者として選出されています。

郷原は1962年に騎手デビューし、翌年に30勝を挙げると、3年目には38勝でリーディングTOP10に食い込みます。当時はこれくらいでもTOP10入りなんですね。リーディングが60~70勝という時代なんで当然といえば当然なんですが。その後、1967年に皐月賞でGⅠ初制覇して関東リーディングに輝くと、イサフジイサミ、プレストウコウ、カシュウチカラ、スリージャイアンツなどで八大競走を制する活躍を見せ、1979年には史上5人目となる通算1000勝を達成しました。

その翌年には「史上最弱のダービー馬」オペックホースでダービーを初制覇します。オペックホースは今でこそ「史上最弱」などと言われていますが、ダービーまでは3-2-1-2で掲示板を外さない堅実な馬でしたし、皐月賞は2着と決して弱い馬ではありませんでした。ダービー後の32連敗は調教師の佐藤勇が仰っていた燃え尽き症候群であった事は間違いなく、怪我以外で早々に引退させる事が少なかった当時の時代背景も考慮してあげたいですね。

また2度目のダービー制覇も史上唯一の茨城県産のダービー馬ウィナーズサークルという名珍馬でした。同馬の何が珍馬なのかというと、ダービーまで芝未勝利、東京芝未出走という当時では考えられない戦績で、2勝馬がダービーを勝つのも1949年のタチカゼ以来50年ぶり、それ以後もフサイチコンコルド、アドマイヤベガ、ディープブリランテ、ワンアンドオンリー、ロジャーバローズの5頭のみという珍しさでした。まぁ近年は賞金体系が整備され、少ない出走回数で賞金を獲得しダービーに出走する事も可能なんですが、当時はかろうじて平成元年ですから。

また、郷原はニッポーテイオーの主戦でもありました。昭和の名マイラーともいえるニッポーテイオーはマイルでは4-3-0-0、マイル以下でも6-4-0-0と連を外さない名馬でした。というか、そもそも通算成績が8-8-2-3、同一年に天皇賞・秋とマイルCSを制覇する名馬なんですけどね。着外3つは2戦目の万両賞(1800m)、皐月賞、NHK杯(2000m)であり、距離を2000以下限定してからは安定した強さを見せたので、典型的なマイラーのようにも見えますが、天皇賞・秋や函館記念の勝利、宝塚記念で2年連続2着などを見るとフランケルやモーリスのように1600~2000の名馬といった感じでしょうか。

このように郷原は八大競走やGⅠを10勝挙げた名騎手でした。ただ、「剛腕」という二つ名は郷原の印象とは少し違います。彼は野平祐二を手本としており、馬に負担をかけない騎乗スタイルを身上としていました。ただ、「馬を追う」という一点については野平から「日本競馬史上No.1」という評価されるほど確かなもので、それが「剛腕」という二つ名に繋がったようですね。

騎手引退後は、調教師として障害の名馬ゴーカイなどを育てましたが、平地では目立った活躍を見せる事はできず、重賞を勝つ事もできませんでした。そして2011年に調教師を勇退し、3年後の2014年に騎手顕彰者に選出されます。勇退後は入退院を繰り返すなど体調が悪い事は漏れ伝わってきましたが、先日、2020年1月31日に逝去されました。まだ76歳ですよ。一昨年亡くなった原良馬さんは、同じくらいの年齢の時にウイニング競馬に元気に出演してましたから、余計に早く感じます。ライバルの加賀武見さんとの逃げ争いは有名ですが、こっちの争いは遅い方が喜ばれるんですよ。

最近は騎手の不幸が続きますね。先週も土曜に松岡、日曜に障害戦で伴啓太が落馬負傷しましたし、なかなか良くない空気が払拭できません。そういや戸崎は5月頃、松岡の復帰は夏のローカルでの復帰になるそうですが、三浦の復帰よりは遅く、関東騎手の受難は続きそうですね。騎手にとっての暗黒の時代になって久しいですが、ここが底と考えて騎手の権利、義務、立場の向上を願っています。


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