開催日程の変遷⑩2010年~2011年
ついに大台の⑩に到達しました。こんなに長くなる予定は無かったですし、9月中旬には終わる予定でしたが、気が付けばダラダラと一月以上の続けています。それもこれもはやり病云々にまつわる面倒な出来事のせいなんですが・・まぁ昔はこんな事あったなぁ、そんな事があったのか、という知識の一つとして、皆様に伝われば良いなと思います。
2010~11年の開催日割
2010年はともかく、2011年はあの東日本大震災があった年です。福島競馬場や開催日割だけでなく、日本全体が大きな衝撃に包まれた年でしたが、その時、日本競馬はどうなったのでしょうか。
もう大丈夫だと思いますが、開催日割は左から開催回数、開催競馬場、開催日数となります。1東京6なら、第1回東京が6日間行われた事を示します。赤字部分は前年から変更された部分で、例年通りに戻す場合はそのまま黒字としています。表の下記の数字は競馬場別の年間開催日数ですね。JRAが発表している開催日割と同じ様な形にしときました。こちらの赤字は開催日数が前年比で減少、青字は増加している事を示しています。そのため、表で赤字があっても、年間開催日数が変わらなければ黒字となっている点に留意して下さい。
2010年
2010年は国際化により全ての重賞が国際重賞となったものの、肝心の競馬の方は2007年のシンガポール航空国際C以降、海外GⅠ制覇から遠ざかっています。同年はどうなったのでしょうか。
まず活躍馬ですが、クラシック路線では牝馬で大変な記録が誕生しました。前年の阪神JFを制したアパパネは、桜花賞、オークス、秋華賞に勝利し史上三頭目の牝馬三冠馬となりました。馬主の金子オーナーはご存知ディープインパクトのオーナーでもあり、史上初めて牡馬三冠と牝馬三冠を制した馬主となりました。たった2頭(正確には3頭)でクラシックを完全制覇するなんてもう二度と現れない大記録でしょう。また、オークスではサンテミリオンと1着同着であり、史上初めてGI競走で同着優勝という珍しい記録も生まれました。
古馬ではブエナビスタがヴィクトリMと天皇賞・秋に優勝し、同年の7戦全てで連対という記録が評価され、三冠牝馬のアパパネを抑えて年度代表馬となりました。2着はドバイSC、宝塚記念、ジャパンC(2着降着)、有馬記念ですから、軽く名馬ですね。ちなみにここまで17戦で8-6-3-0としており、馬券圏内を外した事の無い安定感が大好きでした。
ダート界ではヴァーミリアンが川崎記念をレコードで優勝し、ダートGⅠ最多勝利記録を9に更新しました。さらに交流重賞込みですが、史上最多となる7年連続重賞制覇という大記録を打ち立てましたね。なお、JRAに限定した場合はドウカンヤシマの6年連続(京成杯3歳S、函館記念、金杯、東京新聞杯、朝日チャレンジC、金杯)が最多です。
それから前年の秋華賞馬レッドディザイアがドバイのマクトゥームチャレンジラウンド3(当時GⅡ、現GⅠ)に日本馬として初優勝しました。鞍上のペリエのチョンボで55.0から55.5キロでの出走となりましたが、ハンデを物ともしなかった点、そして同レースに出走したGⅠ7勝馬で前年の年度代表馬ウオッカが惨敗した事で、非常に評価が高かった印象があります。
同じく海外の話題として、宝塚記念を制したナカヤマフェスタが凱旋門賞に挑戦し、エルコンドルパサーに並ぶ2着となりました。全くのノーマークだったため非常に驚きましたね。ただ、血統的にも適性的にも欧州の馬場に向いているとの評価もあり、日本では大した成績じゃなくても欧州で通用する一つの指針となった点が大きな功績と言えます。なお、産駒のバビットは今年のラジオNIKKEI賞とセントライト記念を制しています。
あと、スノーフェアリーがエリザベス女王杯を制覇し、同レースで史上初めて外国馬の優勝となりました。同年は愛英オークスと香港Cも制しており、2008年から外国馬も対象となったJRA賞受賞の可能性もありましたが、同じ3歳牝馬に三冠馬がいたので受賞とはなりませんでした。
それから海外繋がりで、前年に6年連続でジャパンCと有馬記念に参戦したコスモバルクは国内での現役続行を断念し、アイルランドに移籍する事を発表しました。しかし、出国前に左後肢の骨折が発覚して移籍を断念、そのまま引退する事なりました。非常に息の長い競走生活でしたが、やはりピークは3歳でしたね。
障害界からは、コウエイトライが障害馬として唯一の顕彰馬グランドマーチス、中山大障害で史上最多の5勝を誇るバローネターフを超え、史上最多となる障害重賞8勝目を達成しました。この馬の何がすごいって全てGⅢでの達成で、かつ内4レースでレコード勝ちってトコですね。強いのか弱いのか良く分かりません。また、阪神JSでは2006年から2008年まで三連覇し、2009年の不出走から2010年に勝っているので出走機会4連覇という記録も持っています。
最後にオグリキャップが7/3に右後肢脛骨を骨折し、残念ながら安楽死となりました。それに伴い、翌週の7/10の各競馬場で行われた特別戦3Rの副題が「オグリキャップ追悼競走」と銘打たれましたが、こういう馬こそオグリキャップ記念というレース名で功績に応える必要があると思いますよ。ディープインパクト記念弥生賞とかバカな事せずにね。
騎手関係では、武さんがジャパンCで繰り上げ優勝し、23年連続GⅠ勝利という不滅の記録を達成しましたが、一方で毎日杯で落馬負傷し、左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折、右前腕裂創により全治半年の重症と診断され、ここから長く辛い冬の時代、あるいは凋落の始まりを迎える事になります。
同じ落馬関係では、3年目の三浦皇成が正月競馬で史上最多となる9頭の落馬事故を引き起こしました。これは逃げた三浦が4角で少し膨らみ、すぐ後ろにいた2番手の馬に接触して転倒、そして後続が次々と巻き込まれたという事案でした。三浦の動き自体は小さかったのですが、他馬へ与えた影響が大きく、実効4日の騎乗停止処分を受けましたが、三浦にとっては不運でしたがコレも競馬という事で勉強になったでしょう。
嬉しい記録としては幸英明がJRA年間最多騎乗回数を1008に更新し、史上初の年間1000回騎乗を達成しましたし、ノリさんはJRA史上単独3位となる通算2112勝を挙げ、高田潤はJRA障害重賞全6場制覇を達成しました。高田は障害重賞8勝で全6場を制覇したわけですから結構スゴい記録です。あと小林慎一郎が根岸Sを勝利し、デビュー11年目で重賞初制覇、西田雄一郎はアイビスSDを勝利し、1996年の七夕賞以来、14年ぶりの重賞制覇を達成しました。
その他の出来事としては、同年からJRAで施行する全ての平地重賞が国際競走となりました。JRAは2007年にパート1国に認定された際に、半分以上の重賞が国内限定格付けである「Jpn(ジー)」とされ、国際重賞として認められていませんでした。しかし、同年より全重賞が国際競走となったため、格付けも全て国際格付けとなり、名実と共に競馬大国の仲間入りを果たしました。
それに呼応するかのように日本国外居住馬主、いわゆる外国人馬主の所有馬が走り始めます。2/20の新馬には日本国外居住馬主であるゴドルフィン(シェイク・モハメド)の所有馬ノトーリアスが史上初めて出走し、3/13にはルナーレガシーが初勝利を挙げました。いよいよ国際化が始まると感じたものです。
あとは、フサイチの冠名で知られる関口房朗氏が所有する競走馬2頭(フサイチセブンとザサンデーフサイチ)が東京地方裁判所に差し押さえられた事が発覚し話題になりました。その後、両馬は林進氏が新たな馬主になり現役を続行しましたが、大きな成果は挙げられませんでした。
開催日割は、函館競馬場のスタンド改修工事が終了した一方で、中京競馬場の馬場改造およびスタンドの新築工事が始まりました。12月の中京競馬は小倉に振り替えられ6日間から8日間に増加、その分、1月の小倉8日間は中京に振り替え、8日間から6日間に減少しています。また、5月下旬から始まる第2回中京は京都に振り替えられています。
重賞は1増で123R、GⅠは22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。
レパードSは「新設」が外れましたが、引き続き格付けなしの「重賞」として施行されており、さらに前年に引き続いてダート重賞が新設されました。そのみやこSは結構、面倒くさい処理をしていて、まず前年まで施行されていたトパーズSを重賞に昇格し、さらに名称を変更した上で新設扱いとしたので、回次は第1回からとなっていますが、中身はトパーズSを引き継いでいるというややこしいレースとなっています。ただ、そのややこしさのおかげでトパーズSのレートを使用し、初年度からGⅢに格付けされています。
2011年
2011年は歴史に残る大きな出来事がありました。それはもちろん東日本大震災です。これほど大きな震災は世界を見渡してもそうは無いでしょう。あれからもうすぐ10年ですが、未だに傷が癒える事はありませんし、まだまだ長い時間が掛かると思います。それでも少しでも早く、全てがクリアになる事を祈るばかりです。
さて、震災の影響は競馬界においても大きな爪あとを残しました。開催が中止されるだけではなく、福島競馬場ではスタンドの一部が崩落するなど施設全体が大きなダメージを負いましたし、原発事故の影響で馬場も除染や張替えをしなければいけませんでした。また、被災地から遠く離れた中山競馬場や東京競馬場でも被害が出たという事で開催する事さえままならず、開催日割も大きな変更を余儀なくされ、異例尽くめの開催となった年でした。
震災が発生した3/11は金曜日でありましたが、被害状況の確認などもあり、3/12,13の開催は関西地区も含めて全て中止となります。当初、JRAは代替開催を発表していましたが、震源地に近い福島競馬場は前述のとおりに施設や馬場が激しく損傷しており、中山、東京の両競馬場でも被害が確認され、さらに余震も治まらず、国内の被害状況が甚大なものだと判明すると、以下のとおり大幅な日程変更を発表しました。
これについては後述します。
それから当然のごとく、被災地支援も行います。まず、3/14に義援金として1億円を寄付し、3/17には3月の阪神、小倉競馬を「東北関東大震災被災地支援競馬」として開催する事を発表しました。その概要は、売上金の一部、3/19,20,21は入場無料とし、入場料に相当する金額を支援金として拠出する。騎手による募金活動や競走ゼッケンのチャリティ販売を行い、募金や売上を寄付する。さらに重賞3レースを含む11レースを被災地支援競走に指定しました。売上の5%相当額を上乗せするJRAプレミアムレースを中止し、その上乗せ分も支援金として拠出する。また、日本騎手クラブ・日本調教師会・日本馬主協会連合会も義援金を拠出しました。
4/12には、同年4月から始まったWINS5に係る利益を全て義援金として拠出する事を発表しました。利益とは売上から払戻金の原資と国庫納付金を除いたもので、いわばJRAの取り分を指します。簡単に言えば、自前の経費分すら差し引かずに全額、義援金にするという太っ腹な話なのです。ちなみにJRA等から東日本大震災に関連した支援額は総額57億円なのですが、支援項目で最も金額の多い項目は、このWINS5から拠出した18億2544万8220円なのです。実に全体の1/3もの金額をカバーするWINS5の破壊力は全くもって見事ですね。
ちなみに支援の一覧は以下のとおりです。
続きまして活躍馬に移りますが、2011年は何と言っても三冠馬オルフェーブルの誕生でしょう。このわがまま王子は前年の2歳新馬のゴール後に池添を振り落として放馬して口取りを中止するなど暴れん坊な1勝馬に過ぎなかったのですが、シンザン記念、きさらぎ賞、スプリングSと毎月レースに使って折り合いを教え込んで行くと、競馬を覚えたわがまま王子として才能をフルに発揮することができ、東京で行われた皐月賞、ダービー、そして秋の菊花賞を全て圧勝し、さらに返す刀で有馬記念まで制する活躍を見せました。ナリタブライアンのように使って馬を鍛えるというわけではないのですが、折り合いを重視して鍛えていくという意味では正解だったのでしょう。現在でもこういう馬はいると思いますが、有力馬になればなるほどレース後はすぐ外厩に行きますからねぇ。オルフェのように淡々とレースに使い続ける有力馬は、今後、稀有な存在になってしまうのでしょうか。
それからもう一頭、日本競馬に名を残す馬が誕生しました。それはヴィクトワールピサです。前年の皐月賞馬の同馬はダービー3着後、凱旋門賞に挑戦し、さらに帰国してジャパンCと有馬記念にも参戦し、見事3歳で有馬記念を制しました。たった10年前の話ですが、凱旋門賞からジャパンC、有馬記念に使うなんて今じゃなかなか考えられませんね。そして明け2011年にドバイWCに選出されると、この勢いを維持したまま中山記念をステップに世界最高峰のレースに挑戦します。
レースでのヴィクトワールピサは、スタートが悪く、シンガリからの競馬になります。先手を取ったのは同じ日本馬のトランセンドでしたが、遅いペースを嫌ったのか向こう上面で一気に先頭まで押し上げます。そのまま2頭でレースを引っ張ると、直線では後続を寄せ付けないようにしぶとく粘り、トランセンドを交わしたところがゴール。史上初の日本馬によるドバイWC制覇という快挙を達成しました。私は鞍上のミルコが馬上で泣きながら『日本人のために祈っていた』とコメントした事が非常に印象に残っており、日本競馬界だけではなく、日本にも大きな勇気と希望を与えたと思っています。
他にはアパパネがヴィクトリアマイルを制して、6つある牝馬GⅠの内、5つを制した史上初めての牝馬となりました。この勝利はGⅠ5勝をした牝馬の史上最速記録ですが、海外GⅠを含めるならアーモンドアイの4歳3月が最速です。GⅠ4勝という括りなら3歳10月なのでブライアンを抜き、牡馬を含めて史上最速です。やっぱり牝馬は記録的に有利ですね。ちなみに同馬の重賞5勝全てがGⅠである点も珍しい記録です。
同じ牝馬では、外国馬のスノーフェアリーがエリザベス女王杯を連覇しました。外国馬が国内GⅠを連覇したのは平地では史上初です。今年はこの勝利だけでしたが、前年に英愛オークスと香港Cを含むGⅠ4勝した名牝は、ナッソーSと愛チャンピオンSで2着、凱旋門賞と英チャンピオンSで3着など実力を示していた点は見逃せません。
騎手関係では、133勝を挙げた福永が初のリーディングジョッキーとなりました。親父の洋一はご存知の通り、1970~1978年まで9年連続リーディングジョッキーの名騎手であり、JRA史上初となる親子リーディングジョッキーという記録が誕生しました。
一方で、武さんはGIレース未勝利で終了し、1988年から23年間続いていたGIの連続勝利記録が途絶えてしまいました。前年の落馬負傷の影響を引きずった低迷期のど真ん中でしたし、まぁ仕方ないですね。ただし、JRAがパートⅠ国に昇格した2007年以降は国際GⅠのみをGⅠ勝利と見なすという括りで見ると、2011年は東京大賞典を勝利しているので、連続勝利記録は2013年までの26年間に伸びます。まぁ細かいこだわりですが。
あと、調教師関係で関東の河野通文調教師が、暴力団関係者と交際していたとして調教師免許を取り消されました。河野先生は、2010年に知り合いの暴力団関係者から借金の申し込みを受けたため、伊丹空港に現金1000万円を持参して貸し付け、その担保として小切手を受け取りました。しかし、その小切手が現金化できない事が判明したため大阪府警に相談し、その関係者は逮捕されたのですが、JRAは『2006年に知り合ってから、暴力団関係者と認識しながら交際を続けていた』として裁定委員会にかけると、同委員会は「免許取り消しが相当」との意見書を理事長に提出しました。河野先生への聴聞も行われましたが、JRAは競馬施行規程第53条の6「競馬の公正かつ安全な実施の確保に支障を生ずる」に該当すると判断し、処分を決めました。
これだけ見ると自業自得かよと思いますが、河野先生は最後まで暴力団関係者とは知らなかったと言い張ってましたね。強制的に免許を取り消したので真相は闇の中だとは思いますが、当時は暴力団関係者の付き合いが非常に批難されていた時期だったから何とかなっただけで、JRAはそれを立証できなかったら裁判で危なかったと思います。
河野先生といえば、三浦皇成の師匠ですね。三浦が武さんの新人最多勝記録を更新できた理由は河野先生の多大な尽力があった事に間違いありません。新人にしてはありえない馬質を揃えられたのは三浦本人の力というより、河野先生が様々な所で頭を下げた営業があったからです。それを勘違いしたのか、三浦は謙虚さを忘れて、厩舎スタッフからも遠巻きに避けられる始末。その結果、2ヵ月も少ないデビュー初年度のキャリアハイを超えたのは、デビュー12年目の昨年2019年でした。自業自得は師匠譲りでしょうか。
あれほど期待された新人であったにも関わらず、重賞は13年間で14勝、GⅠ勝利は無く、交流重賞の全日本2歳優駿を1回勝ったのみです。関西若手騎手の3年目のジンクスを聞いてたら理解できそうなもんですが、どうして日本の若手騎手はこうなるのでしょうかね。非常に残念です。
それから池江泰郎元調教師が文部科学省からスポーツ功労者として顕彰されました。過去の中央競馬関連表彰者は、1991年度から毎年、元調教師の保田隆芳、松山吉三郎、布施正、二本柳俊夫、境勝太郎、小林稔が、2005年度には元騎手の岡部幸雄が顕彰されており、史上8人目の快挙となりました。
震災以外のその他の出来事としては、まず【5重勝単勝式馬券】通称WINS5が発売されました。非常に大きな式別ですよね。キャリーオーバーが出れば払戻金が2億円となるわけですから、そりゃ夢を追いたくなりますよねぇ。
それからGⅠの審議対象馬が上位に入線している場合に、審議中にパトロールビデオを公開され、さらに短期免許交付ルールが改正されました。PVはまぁ情報公開という観点から良いとして、短期免許に関しては2回以上の騎乗停止、または制裁点数が30点を超えた場合に次年度の短期免許を交付しないとされましたが、ハッキリ言って不十分ですね。短期免許の問題点とJRA騎手の影響を考えたら、変更すべき点はそこじゃないのは理解できると思うのですが、なかなか外国人=傭兵から抜け出せませんね。
あと、メジロ牧場が成績不振を理由に解散・閉鎖すると発表しました。90年代は収得賞金が毎年10億近い金額となっていましたが、2000年代に入ると徐々に減り始め、解散前の直近5年間は年間3億円近くまで減少していました。当時でも現役馬は36頭いましたから、維持費を考慮すると経営が苦しかったのでしょう。なお、繁殖牝馬や牧場施設は、メジロ牧場の専務だった岩崎伸道氏がレイクヴィラファームとして引継いでおり、後に香港ヴァースを制したグローリーウェイズなどを生産しています。
地方競馬では、前述した大井の東京大賞典が国際GⅠの格付けを取得しました。地方競馬では初の出来事ですね。私は地方交流重賞は重賞として一切認めていないのですが、国際格付けを持つこのレースだけはGⅠとしてカウントしています。JBCクラシックとかはタイミング次第で国際GⅠを取れると思うのですが、他のJBCとの格差の関係で申請はしないでしょうし、他の地方重賞もレースレーティングが115を超えるレースが無く、かしわ記念、帝王賞、南部杯はあと一歩という所なので、イケるタイミングがあれば申請してみるのも面白いと思いますが・・右肩上がりの現状ならしないか。
開催日割は、まず、前年から続く中京競馬場のスタンド全面改修工事の影響で、中京競馬は全て振り替えとなりました。関西圏の震災の影響は限定的でしたので、京都、阪神、小倉で135日を振り分ける事ができましたが、関東圏は震災の影響で福島がアウトになり、中山も春開催が中止になるなど大きな影響が出ました。しかし、空いた時期に急遽新潟を入れ、なんとか121日の開催日数を確保し、年間288日を維持しました。
こんな感じですね。まず、3/12~4/17までの中山開催12日分は全て中止となりました。その分は、3/21の阪神、10/10の東京、5月末の新潟開催6日間、10月の新潟開催2日間、11月の小倉開催2日間に振り分けられています。次に3/12,13の阪神競馬については4/2,3の小倉開催2日間、同じく3/12,13の小倉競馬は3/26,27の小倉開催2日間で対応しています。
中山競馬場の開催中止の影響で、重賞についても施行日の変更が行われていますが、重賞は123R、GⅠは22R、障害重賞は10Rで変更ありません。前年との相違点は以下のとおりです。
ほぼ震災関係ですね。中山の3歳重賞はほぼ1週遅れで阪神で施行されています。皐月賞はさすがに阪神とはいかず、1週遅れの東京で施行されました。なお、東京で行われた皐月賞は過去10回あり、トキツカゼ、シンザン、トウショウボーイなどの顕彰馬が名を連ねています。今年のオルフェも顕彰馬に選出されており、東京の皐月賞は名馬が誕生しやすいのかもしれません。
また、中山牝馬SやマーチSなどは2週以上遅れての施行となりましたが、中山グランドジャンプは2ヵ月半遅れの7/2に施行されています。なお、重賞ではありませんが、アネモネSとペガサスJSは振り替えられず、同年は中止とされました。
あと表にはありませんが、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手競馬を支援するため、2011年のみ盛岡で行われていたマイルチャンピオンシップ南部杯が東京競馬場で施行され、売上の一部は岩手競馬への支援金に充てられています。
最後に創設3年目のレパードSは無事にGⅢに昇格し、府中牝馬SもGⅡに昇格しました。レパードSは正直、必要かなぁと思いますね。8月に3歳限定のダート重賞なんていらんでしょう。やるなら5月の新潟の最終日に組み込めばジャパンダートダービーに繋がりますし、ダート馬がダービーに参戦する可能性も低いと思いますが。
府中牝馬SもGⅡに昇格したはいいですが、毎日王冠と富士Sに挟まれ、どっちつかずのレースになってる気がします。エリザベス女王杯のステップなんだから1800mではなく2000mでやれば差別化できますし、2020年に新設された新潟牝馬Sも2400mでやれば中長距離の牝馬に助けになるでしょう。
⑪に続く