明日で引退、四位洋文

ついに四位が引退します。30年も乗ってたんですか・・お疲れ様としか言いようがありません。

四位は競馬学校に入学前から乗馬経験があり、乗馬雑誌に載るほど全国レベルで知名度があった事は有名な話です。もちろん騎乗技術も目を見張るものがあり、競馬学校時代には将来を有望されたほどでした。しかし、1991年にデビューにすると予想に反して目立った成績は残せず、デビューから3年間で61勝しか挙げられませんでした。

デビュー4年目に報知杯4歳牝馬特別(←懐かしい!!)をゴールデンジャックで制して初重賞制覇を果たすと、サンスポ賞4歳牝馬特別も勝利し、オークスでは2着に健闘します。ここから成績が上昇して毎年50勝以上を挙げる騎手へと成長します。6年目には皐月賞をイシノサンデーで制し、クラシックとGⅠの両方を初制覇を達成しました。秋には古馬牝馬GⅠになった初年度のエリザベス女王杯を制する活躍を見せ、以後、重賞では欠かせない騎手となりました。

そして2001年に四位を語る上で外せないアグネスデジタルとの出会います。元々の主戦騎手だった的場均が引退し、後任に選ばれた四位でしたが、春競馬ではレコードとはいえ13番人気で勝利した前年のマイルCSの実力を示す事ができず、惨敗続きでした。しかし、秋に入ると船橋の日本テレビ盃、盛岡のマイルCS南部杯を制しダート界を席巻して復活したかと思えば、中2週で出走した天皇賞・秋で現役どころか歴代最強クラスのテイエムオペラオーを相手に勝利を収めるという快挙を達成しました。

この天皇賞・秋は外国産馬の出走が認められたばかりで、出走枠が2枠しかなかったんですね。テイエムオペラオーの最大のライバルで春のグランプリホースであるメイショウドトウが1枠取っており、残りはNHKマイルCを勝ってダービーでも5着だった3歳馬のクロフネが有力視されていました。ところがアグネスデジタルの方が賞金が高いので、クロフネは除外となってしまうのです。当時は『フロックでマイルCSを勝ったダート馬が邪魔すんな』と批難の声が凄かったのを覚えています。それを完勝して黙らせたのは痛快でしたね。

なお、除外となったクロフネは天皇賞・秋の前日に行われた武蔵野Sで衝撃的な走りを見せ、続くジャパンCダートでも2戦連続のレコード勝ちを果たし、史上初めて芝とダートのGⅠを制した馬となりました。

アグネスデジタルがそれに続いたのはその3ヶ月後のフェブラリーSでした。間に香港Cを挟んでいたので、地方ダート⇒中央芝⇒海外芝⇒中央ダートと条件を問わず勝ち続けた事になり、顕彰馬となってもおかしくない成績でした。

ちなみに翌年の安田記念でレコード勝ちをしている点も見逃せません。なんで顕彰馬に選出されないのかと言えば、それは単に人気がないからです。顕彰馬の選出方法は彼が現役中に改正され、記者投票になったので、どんなに素晴らしい成績でも記者に人気が無ければ選出されませんから。

その後の四位は2007年にウオッカ、2008年にディープスカイで日本ダービーを連覇しますが、その以降は成績が下降していき、2010年以降は毎年重賞を1つ勝てる程度にまで落ち込みます。それでも年40~50勝していたのですが、2015年のルメール、ミルコの来襲によって成績も騎乗数もピーク時の半分にまで落ち込みます。そして昨年2019年に調教師試験に合格し、2020年2月に引退となりました。

こう見ると、四位は特別な経験をする機会が多かったように思います。

重賞の【4歳牝馬特別】を年2勝
古馬に開放された初年度のエリザベス女王杯を制覇
地方・中央・海外のGⅠを4連勝
64年ぶりの牝馬のダービー制覇
現行クラシック路線初となる同一年のダービーと菊花賞を異なる馬で制覇
史上2人目の日本ダービー連覇
史上初の牡馬と牝馬でのダービー連覇
2/29日で引退、引退の日および引退式が無観客

なかなか達成できないどころか、達成する事すら困難な記録だと思います。今後、更新できるのはダービー連覇くらいでしょうか。ある意味武豊より凄いです。

また、重賞76勝、GⅠ16勝(海外1勝を含む)は少ないように思えますが、現役では9番目で、川田よりも勝っています。しかも、今のように有力馬の集中や強奪が少なかった時代の成績が主ですから十分評価できます。

四位曰く『競馬は点じゃなくて、線なんだよ。一人の騎手が厩舎と一緒に馬をつくるのが魅力なんだけどね。今はそうじゃない。騎手が調教師になって、少しでも変わればいいな、と思う』だそうです。調教師試験の一次試験受験後に語った言葉ですが、的を射ている言葉だと思います。

調教師になってどんな勇姿を見せてくれるのか、楽しみですね。
長い間お疲れ様でした。
また楽しませ下さい。



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