統一教会の問題に「宗教の自由」は関係ないという話

「統一教会を叩く奴は”宗教の自由”を侵している」という頭の悪い人が湧いていて、どうしようもない感じです。

個人の持つ思想や内心は、自由でなければいけませんから、宗教の自由、信教の自由は、大事なことです。
なので、どんなにアホくさくても、文鮮明がメシアだと信じる自由はあるし、韓鶴子が宮殿を建てることで世界が平和になると信じるのも自由です。
それは個人の内心が自由でなくてはいけないからです。

しかし、社会や他者への外部行為については、宗教だからと言って自由ではないのです。
宗教の名の下に、他者の人権を侵害したり、公序良俗に反したことをしたり、法を犯してはいけないのです。
統一教会が問題視されているのは、信者の人が文鮮明をメシアだと思っているからでも、韓鶴子のために人生を捧げようと思っているからでもなく、教団の「教義」や「摂理」とかによって行われる、外部行為のためです。

宗教の自由と社会的行動の問題は、「エホバの証人」による輸血拒否や柔剣道の授業拒否、あるいは、アメリカなどで問題になった、宗教的理由による「良心的徴兵拒否」の問題などがあります。
これらは難しい問題で、そのケースによって慎重な判断が必要です。
僕が宗教を興して「納税は宗教的に許されない」という教義を立てたら、納税しなくていいかというと、そういうわけにはいかないのです。

というわけで、統一教会の反社会的行為を非難したり、問題を指摘することは、「宗教弾圧」でもなく「自由の侵害」でもないのです。
さもなくば、どんな犯罪組織でも「宗教ですから」と言えば、やりたい放題になってしまいます。
統一教会は、そういう団体です。

よろしければご支援をいただけると助かります。