統一教会の「自虐史観」は左派的なのか

統一教会では、日本人信者(食口)は、日本による朝鮮の植民地支配を償うために、多額の献金をしなければいけないのだ、と説いています。
これを「日本人の自虐史観」を逆手に取った収奪であるとし、この「自虐史観」が「統一教会と左派の類似点」だと論じたツイートがありました。
当該ツイートは、日韓の賠償問題は「日韓請求権協定」で解決されているとして、それ以上の賠償を求めることを「統一教会と左派の一致点」だと見ているようでした。

しかし、これは根本的に間違った理解であることを、ここで指摘しておきたいと思います。
まず、日本による朝鮮半島の植民地支配が、過酷で非人道的なものであったことは論を俟ちません。これを否認するのはただの「歴史修正主義」で、論じるに値しない戯言です。
そのうえで、それに対する国家間の賠償問題は、確かに1965年の「日韓請求権協定」で「基本的に」閉じられていることも事実であり、この点にも、右派、左派の間に、争いは存在しません。

一方、統一教会が日本人信者に求めている「償い」というのは、この「国家間賠償」とは全く関係ない文脈で、「日本という国家」が宗教的な「赦し」を得るために「日本人信者個人」に対して、より多額の献金を求める、という構図になっています。
しかし、日本という「国家」の罪が「日本人個人」に責めを負わせる、という思考は、いわゆる「左派」の発想ではなく、むしろ日本がアジアを侵略した歴史的事実認識を「自虐史観」だと攻撃している「右派」の発想に他なりません。
統一教会も、国家と個人を一体視する「全体主義」を志向するため、この「右派」的な論法で、信者個人に「償い」を求めているのです。
いわゆる「左派」が志向するリベラリズムは「個人主義」が土台にあるため、国家による賠償責任を個人に負わせるという発想が、そもそも存在しないのです。

では、いわゆる「左派」は自国が過去に犯した過ちに無責任なのか、というと、そうではないのです。
「左派」においては、自国にそのような過ちを犯させないことが重要であり、過去の過ちについては「国家」が責任を負わなければいけない、という立場をとるはずです。
しかし、対韓国家間賠償に関しては先述の「日韓請求権協定」によって閉じていることから、韓国という「国家」は日本政府に対して「国家間賠償」を要求することはできませんし、要求もしていません。
現在争われているのは、日本政府が過去の歴史をきちんと認めることや、過去の「国家間賠償」の枠外にある「日本企業」による賠償(具体的には徴用工への賃金支払いや賠償)などです。

このあたりの話、特に日本では、国家と個人の切り分けをできない人が多いので、おかしな「被害者意識」を抱いて「嫌韓」論者になってしまう人も出てきます。
くれぐれも、間違った認識に囚われないようにしましょう。

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