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人と違う自分の好き

あれはたぶん24歳の冬です。


大学時代の友人と二人で某遊園地に行きました。その友人は大学卒業後も定期的に会っている数少ない中の1人です。

その日は天気がとてもよくて、冬にしては温かい日でした。またそれほど混んでもいなくて、楽しむための条件が全て揃っていました。


そのため、比較的スムーズに乗りたいものに乗れて、写真もたくさん撮れて、すごく充実していたと思います。


でも、ふと思ったんです。

あれ、そこまで楽しくない……かも。


楽しくないといったら少し語弊がありますが、私が期待していたほどの楽しさやワクワク感が得られていないなと感じたんです。

これだったら、カフェでおしゃべりしてる方が、楽しいんじゃないかって思いました。


何十分も並んで、アトラクションにのっても、数分で終わってしまうこと。

ひとつ乗り終わったら、また長い時間並ばないといけないこと。

絶叫マシンが苦手なので、乗れるものが限られていること。

どこに行っても人がたくさんいること。

遊園地のいい部分よりも悪い部分のほうが、気になっていました。


それまでも遊園地に行ったことはありましたが、暑かったり、寒かったり、凄く混んでいたりしていたので、心から楽しいと思えないのは、そのせいだと思っていました。


でも、今回全ての条件が揃ったにも関わらず、物足りなさを感じでしまったんです。


その時、初めて私は遊園地が好きじゃないってことに気づきました。

また、私は絶叫マシンが苦手なので、絶叫マシンが好きな友人と一緒に遊園地に行ったときは、いつも頑張って一つだけ乗るようにしていました。

今思うと、遊ぶ場所で頑張るのも意味わかんないなって思うし、乗らないっていう私に気を使っている友人に対しても申し訳ない気持ちがあったので、私と遊園地の相性は元々悪かったんだなと思います。

でも、まさか自分が遊園地を苦手だなんて思わないじゃないですか。

遊園地が苦手な人間がいることさえ知らなかったです。

夢の国と言われるほど、夢のような世界なのに、ほとんどの人が楽しいと思う場所なのに、それを好きになれませんでした。

それを24歳にして初めて認められたんです。


正直、遊園地を好きな人が羨ましいです。


好きだと思う場所や特別だと思える場所はたくさんあればあるほど幸せだと思うからです。


でも、私はたまたま遊園地が好きになれなかっただけなんだと思います。


きっとその分、好きだと思える場所は存在すると思っています。


いつものカフェのあの席とか。

家のベッドの上とか。

地元の海とか。

私にとっての好きな場所はいつも身近にあることが多くて、特別感はありません。


でも、それが私らしくていいのだと思います。

私のように多くの人が好きだとというものを好きになれない人もいます。

でも、それは仕方がないことだと思うんです。

好きなことも苦手なことも人によって違うし、別にそれは変なことではないです。


たまたま自分の苦手なことが多くの人にとっては好まれることだっただけ、たったそれだけのことです。

人の好きに埋もれて自分の好きを見失わないように、自分の気持ちを大事にしていきたいです。



おわり



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